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江戸時代後期に大名家の姫君のために御細工所で特別に制作された高級雛道具の系統に属するもので、いずれも七宝繋ぎに十六菊花紋を散らしています。湯桶(ゆとう)、長柄湯桶、盥(たらい)、柄鏡、かもじ箱(?)、渡金箱(?)ですので、御化粧道具と膳具の一部と思われます。 このうちの「かもじ箱」かと思われる長細い箱には、もともと紐が掛けられていたようで、側面に金具が付いています(アップ写真ご参照)。その金具に「丸に十文字紋」が彫られていること、またいくつかの菊花紋の下にも、うっすらと「丸に十文字紋」の痕跡が見られることから、この一連の雛道具は、もともと薩摩藩主・島津家の姫君のために誂えられたものではないかと推測されます。それが、なにゆえ後から菊花紋に改められたかを考察しますと、薩摩藩十二代藩主の島津忠義の第八女・俔子(ちかこ)姫が久邇宮邦彦王妃となり(明治32年・1899結婚)、その後、香淳皇后(久邇宮良子女王)のご生母となられたことに関係しているのではないかと思われるのです。
邦彦王妃俔子殿下は明治12年・1879のお生まれですが、その頃に江戸時代と同様の雛道具が作られていたとは考えづらく、それ以前に島津家に存在していた雛道具をご婚儀に際してお持ち越しになり、のちに実家の紋を菊花紋に改めさせたのではないかと推測するのです。
また、この雛道具はかつては大揃いであり、昭和戦前には、著名な人形蒐集家である「うなゐ荘」主人・遠藤武が所蔵していたことが、うなゐ荘の古写真から判明しています(参考に古写真のアップを載せています。写真は商品に含まれませんのでご注意ください)。うなゐ荘コレクションは戦後まもなく散逸してしまいましたので、おそらくその時点で、この雛道具も分散してしまったと思われます。
薩摩藩島津家と皇室とのゆかりを物語る大変貴重な資料として、また幕末明治期の日本の工芸美を伝える作品として、ご愛蔵いただければ幸いです。
サイズ:盥の直径14センチ、湯桶の高さ6.8センチ、長柄湯桶の高さ6センチ、柄鏡(鏡家)の長さ11.8センチ、かもじ箱?の長さ13.2センチ、渡金箱?の長さ14センチ。
☆すべてが一つの桐箱に収められています(箱書きや貼札などはありません)。
※古いものですので、時代なりのやつれや劣化がございます。品物の性質をご理解いただける方のみご入札ください。
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