1968年、明治百年というナショナリズムの国家的再編期に提出された舛田利雄監督作品『あゝひめゆりの塔』は、戦争映画の歴史において最もグロテスクで、罪深く、そして映画的知性に対して壊滅的な背信を働いた怪作の一本として記憶されなければならない。沖縄戦という、近代日本史における最大かつ最悪の狂気と惨劇、何百もの無垢な少女たちの命が軍国主義の無価値な肉の壁として擂り潰された「ひめゆり学徒隊」の悲劇を前にして、この映画が試みたのは「悲劇の直視」でも「戦争の構造的批判」でもない。それは、日活が誇る吉永小百合という圧倒的清純派スターのアイコン性を消費するための甘ったるいメロドラマへの矮小化であり、商業主義と明治百年記念芸術祭という公認ナショナリズムの都合の良い野合にほかならなかったのである。
冒頭の不快なまでの不協和音からして、この映画の迷走と浅薄さは既に暴露されている。サイケデリックな光が明滅し、グループ・サウンズの爆音が響き渡る1968年の東京のゴーゴー・クラブ。そこに佇む渡哲也演じる現代の若者に対し、ナレーションが「沖縄はどうなると思いますか?」と問いかける。1968年当時、依然として米軍施政下に置かれ、ベトナム戦争の出撃基地として機能していた沖縄の政治的現在性を、この映画は冒頭で唐突に誇示してみせる。しかし、この「現代からの照射」というポーズは、映画が過去の沖縄戦へとタイムスリップした瞬間、完全な目くらましであったことが判明する。現代の若者の虚無や沖縄返還運動というリアルな政治課題は、昭和18年の爽やかな沖縄の運動会、澄み切った青空、そして美しき吉永小百合と浜田光夫のほのかな甘い初恋の挿話によって、一瞬にして漂白されてしまうのだ。
舛田利雄という監督は、アクション映画や娯楽作においては比類なき手腕を発揮する職人であったかもしれない。しかし、彼が本作で採用した演出手法は、沖縄戦の真実を描き出すには決定的に倫理観を欠いていた。スクリーンに映し出されるのは、悲惨な地上戦の地獄絵図などではない。どこまでも美しく、泥に塗れてもなお気品を失わず、モンペ姿になっても発光するかのような吉永小百合の美しさである。ガマ(自然洞窟)という、暗黒と過密、排泄物と腐臭、血と膿とウジ虫が充満していたはずの密室は、映画的セットの照明によって奇妙に小綺麗に照らし出され、吉永演じる和子たちが傷病兵の手当てをする姿は、まるで聖母降臨の聖画のごとく美化される。そこにあるのは、死の匂いではなく、日活青春映画の文脈そのままの「試練に耐える清純な少女」の美学化にすぎない。
戦争の残酷さを描いていると見せかけながら、この映画が実際にやっていることは「死のポルノグラフィ」と「純潔の神聖化」である。少女たちがアメリカ軍の集中砲火や毒ガス攻撃によって次々と命を落としていくプロセスは、歴史の不条理に対する告発として機能するのではなく、観客の涙腺を効率よく刺激するための甘美な悲劇として消費される。ガマの中で手榴弾を爆発させる自決の場面や、砲弾が飛び交う戦場を少女たちが逃げ惑う場面において、カメラは彼女たちの恐怖の根底にある軍国主義教育の呪縛や、日本軍高官による無責任な棄民政策の構図を写し出すことを徹底的に回避する。ただ「可哀想な少女たち」が「健気に、清らかに散っていった」という感情の情緒的自己目的化へと傾斜していくのだ。
さらに決定的なのは、映画における日本軍の描かれ方の欺瞞性である。本来、ひめゆり学徒隊を戦場に連れ出し、無謀な看護作業に従事させ、戦局が悪化すると「解散命令」という名の事実上の見殺しを言い渡して暗闇に突き落としたのは、日本陸軍第32軍を中心とする軍部の組織的狂気であった。しかし、本作における軍人たちは、一握りの理不尽な将校を除けば、多くが苦悩し、少女たちを気遣い、静かに死を受け入れる「哀愁を帯びた英霊」として造型される。軍部という制度そのものが孕んでいた凶暴性や責任の追及は、個々の兵士の「優しさ」や「無念さ」という情緒の海の中に跡形もなく溶解させられてしまう。これは悲劇を描いているのではない。戦争責任を感傷によって洗脳し、歴史の加害構造を無効化する最も悪質な歴史改変の共犯作業である。
実写の記録映像(アーカイブ・フッテージ)の挿入手法についても、本作は致命的な破綻をきたしている。舛田は劇中の再現ドラマの合間に、実際の米軍による空襲や艦砲射撃の記録映像を唐突にはさみ込む。しかし、過度にドラマチックに演出された日活スターたちのスタジオ撮影の映像と、本物の死と破壊が刻まれたモノクロの記録映像は、映画の中で完全に反発し合い、互いのリアリティを殺し合っている。本物の映像が持つ凄惨さは、作られたドラマの嘘っぽさを残酷なまでに浮き彫りにし、逆にドラマ側の安易なメロドラマ性が、記録映像に写る本物の死者たちの痛みを娯楽映画の背景へと貶めてしまう。この無神経なコラージュは、映画表現における倫理的怠慢の証拠以外の何物でもない。
明治百年記念作品という文脈も重くのしかかる。1868年の明治維新から100年目を迎えた1968年、日本政府は近代化の成功を祝う国家的なキャンペーンを展開していた。その「記念」の名のもとに制作されたこの映画が、国家の無謀な戦争によって生贄とされた少女たちの物語を選択したこと自体、巨大な皮肉であり矛盾である。だが映画はその矛盾を突くどころか、国家が歩んできた「悲劇の歴史」を「尊い犠牲の物語」へと回収し、明治以来の国家の歩みを情緒的に正当化する国家的イデオロギー装置として見事に機能してしまっているのだ。殉国した少女たちの死は、国家の過ちを批判するための弾劾ではなく、戦後日本の繁栄を陰で支えた「美しい献身」として聖化され、観客は満足気な涙とともに劇場を後にする。これほど死者に対する冒涜があるだろうか。
吉永小百合という圧倒的な存在感もまた、この映画においては逆説的な毒として作用している。彼女の持つ透明感、演技の誠実さ、そして画面を支配する圧倒的なスター性は、映画の倫理的欠陥を隠蔽する完璧なオブラートとなってしまった。観客は「ひめゆり学徒隊の悲劇」を見ているつもりで、実のところ「地獄のような戦場でなお気高く輝く吉永小百合」というアイドル・偶像の殉教劇を見せられているに過ぎない。彼女が涙を流し、絶望の中で息絶えるとき、観客が抱くのは戦争への激怒ではなく、美しきものが失われることへの安易な感傷(カタルシス)である。このカタルシスこそが、戦争の真の構造的暴力から人々の視線を逸らし、戦慄すべき歴史的現実を「甘美な物語」へと安全に処理してしまうのだ。
映画の終盤、逃げ場を失った少女たちが一人、また一人と弾丸に倒れ、あるいは自決へと追い込まれていくクライマックスの怒涛の展開は、演出上の技術としては確かに畳みかけるようなエモーショナルな力を持っている。しかし、その迫力は映画的達成ではなく、観客の感情を力づくでねじ伏せる暴力的な感情搾取に過ぎない。死んでいく少女たちの叫びや涙は、映画の構築的なテーマに昇華されることなく、ただひたすらに湿っぽく、不快な情緒の洪水となって観客に押し寄せる。そこには、観客自身に戦争の不理屈を問い直させる知的な余白は一切残されていない。
『あゝひめゆりの塔』が犯した最大の罪は、沖縄戦という現在進行形の傷口を抱えた地域の実相を、内地(本土)の観客が消費しやすい「涙の悲劇」へと変換・パッケージ化したことにある。1968年という、沖縄がまだ本土復帰を果たしておらず、米軍基地の重圧と戦争の記憶に苦しんでいたその渦中にあって、東京の映画会社が作り上げたこの映画は、沖縄の痛みを真に分かち合うためではなく、本土の観客が安全な劇場で安易な涙を流し、自己満足に浸るための「慰安の装置」であった。沖縄の現実と死者たちの声は、日活の豪華絢爛なスターシステムと、職人監督の手際よいメロドラマ調合によって完全に押し潰され、喉越しの良い「悲しい物語」へと変質させられたのである。
結局のところ、この作品は映画という表現形式が持ちうる最も罪深い側面――すなわち、他者の決定的な苦痛や死を、娯楽と涙の消費財へと変え、国家や商業主義の言説に奉仕させてしまうという罪――を極限まで露呈させた反面教師的怪作としてしか評価できない。どれほど豪華なキャストを揃えようと、どれほど感動的な音楽で彩ろうと、画面の底から匂い立つ表現の不誠実さと歴史に対する圧倒的な軽薄さを隠すことはできない。完膚なきまでに批判されるべきは、この映画が沖縄の死者たちに寄り添うフリをしながら、その実は自らの商業的成功とナショナリズムの情緒的回収のために彼らを二度殺したという、救いがたい傲慢さなのだ。
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