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株式会社ホテルオークラ東京(ホテルオークラとうきょう)は、東京都港区虎ノ門二丁目にある高級ホテル「The Okura Tokyo」を運営する株式会社ホテルオークラの連結子会社。
ホテルオークラは、帝国ホテル東京、ホテルニューオータニとともに、ホテルの「御三家」の一つと称される名門ホテルである。
歴史
現在の港区虎ノ門二丁目のあたる江戸見坂、霊南坂、汐見坂に囲まれた地域には、天保年間、川越藩・松平大和守の屋敷があった[4]。明治期以降は政府が接収し、工部省測量司と、それを受け継いだ内務省測量司が事務所および外国人宿舎用地として使用したが、1878年(明治11年)大倉財閥の創始者である大倉喜八郎が購入し、邸宅を構えた[4]。広大な敷地内には喜八郎が蒐集した美術品を展示する私設美術館も設立され、それがのちに日本初の私立美術館「大倉集古館」となった[4]。
喜八郎の長男である大倉喜七郎は、1922年(大正11年)から父の跡を継ぎ、帝国ホテル会長(のち社長)を務め、1924年(大正13年)大倉組頭取に就任し、川奈ホテルや赤倉観光ホテルの創業を手掛けた[5]。戦後の公職追放と財閥解体を経て喜七郎は大倉商事監査役に復帰し、帝国ホテル社長への返り咲きも渇望するが、それが叶わないと見るや[6]、1958年(昭和33年)に資本金10億円で大成観光を設立[7]。邸宅跡に1962年(昭和37年)「ホテルオークラ」を開業した[4]。
1962年完成の旧本館
1962年完成の旧本館
左が旧本館・右に大倉集古館
左が旧本館・右に大倉集古館
喜八郎が設立した有限責任日本土木会社を前身とする大成建設が施工を担った本館は[8]、高低差と法規による高さ制限とを適合させ、坂上にホテルエントランスを、坂下には宴会場エントランスを設けた地上6階地下6階の画期的な建築であり[8]、中心のエレベーターホールから三つの客室棟に伸びる三ツ矢式建築も、客室を効率的につくるのに、合理性の高いものだった[8]。1973年(昭和48年)には別館も開業し2館体制となった[7]。
1987年(昭和62年)の開業25周年を機に、運営会社は「大成観光」から「ホテルオークラ」に社名を改め、2001年(平成13年)には、所有・経営・運営の分離を図り、経営改革を推し進めるべく、ホテルオークラは「ホテルオークラ東京」を設立して当ホテルを分社化した[7]。
本館建て替え
2014年(平成26年)5月、ホテルオークラは竣工して50年が経過し老朽化が顕著となった本館の建て替えを発表[9][10]。2016年(平成28年)6月から建て替えに着手し、施工は本館建築時と同様に大成建設が担い、ホテルとオフィスを併設した地上41階地下1階の高層棟「オークラ プレステージタワー」と、ホテルとレストランのみの構成となる地上17階地下1階の中層棟「オークラ ヘリテージウィング」の2棟を新築し[8]、ホテル前庭となる「オークラ スクエア」も整備。さらにこの広場を創出するため、大倉集古館は曳家工事によって約6m移動することになった[11]。これら工事の完了を受け、2019年(令和元年)9月12日に再開業し、それを機にホテル名称は「The Okura Tokyo(ジ・オークラ・トーキョー)」へと改められた。
開発にあたっては、建て替えの障害となっていた敷地全域の都市計画公園指定を、新制度「港区公園まちづくり制度」を適用することで、建て替えを可能とした[12]。新設した都市計画公園(港区立江戸見坂公園)を含む約2.6haの敷地の50%以上を緑地および広場として公開整備し、さらに地区計画指定と再開発等促進区を定め、この18万㎡の複合ビルは実現に至っている[12]。
別館の今後
別館は「The Okura Tokyo」開業後も「ホテルオークラ東京 別館」として営業を継続していた。2019年、ホテルオークラは別館を2021年度までに閉館し、2024年度をメドに地上43階のタワーマンションと地上21階のオフィスビルを開業する計画を検討していることを明らかにしたが[13]、新型コロナウイルスの影響で2020年(令和2年)5月から休業し、9月末で営業を終了した[14]。建物は10月1日から2021年(令和3年)9月末までの予定で東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に貸し出され、ボランティア用のユニホームの配布などに活用された[14]後、鹿島建設によって解体された[15]。
2019年の時点では、別館跡地の開発は野村不動産が主体となって行う予定で、同社は東京都に地上43階のタワーマンションと同21階のオフィスビルを計画する環境アセスメント資料を「(仮称)六本木一丁目計画」の名称で提出しており、用途にホテルは含まれていなかった[13]。しかし、本計画は実施されず、その後新たに鹿島が同地の環境アセスメント資料を「(仮称)六本木一丁目北地区計画」の名称で提出した[15]。新たな計画では、鹿島が地下4階・地上50階建のビル1棟を建築し[16]、ビルには住宅・店舗・ホテルが入る[17]。
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