映画『女猫 美しき復讐者』(1992年)——このタイトルを耳にした瞬間、ある種の映画通や日本映画の闇と光に魅せられた者の脳裏には、妖しくも狂おしい雷鳴が轟く。90年代初頭、オリジナルビデオ(Vシネマ)市場と劇場用映画の境界線が泥濘のように混じり合い、過剰な情念と実験的映像表現が奇跡的な融合を果たしていたあの狂騒の時代。その最前線に突如として現れ、銀幕と磁気テープの双方を濡らした一作の絶対的傑作。それが本作である。
監督を務めた北畑泰啓の手腕は、本作において円熟の極みに達していると言ってよい。日活ロマンポルノの黄金期から流れる血脈を確かに継承しながらも、90年代のネオ・ノワール的哀愁とメロドラマのエクスタシーを極限まで増幅させるその演出は、画面の端々にまで張りつめた緊張感をもたらしている。脚本を手掛けた村橋明郎による緻密かつ耽美的なシナリオは、単なる復讐劇の枠組みを鮮やかに踏み越え、人間の業と愛憎、そして異国から流れ着いた者たちの血と涙のドラマへと昇華された。撮影の鈴木耕一が捉える夜の街の湿り気、照明の野口素胖が創り出す闇と光の濃密なコントラスト、録音の大庭弘、効果の橋本正二、整音の小峰信雄らが織りなす極限の音響空間、そして編集の北澤良雄が刻む完璧なリズム。それら全ての職人技が幾重にも交錯し、この映像の迷宮を構築している。
しかし、何と言ってもこの作品を永遠の神話へと押し上げている最大の要素、それは主演・可愛かずみが放つ、息をのむほどに美しく、どこまでも哀しい光彩に他ならない。
大病院に勤務する美貌の女医・浅川麻衣。白衣に身を包み、理知的でクールな眼差しを持つ彼女のもとに、凄惨な暴行を受けたフィリピン人女性が運び込まれる。麻衣の献身的な治療と圧倒的な生への執着によって一命を取り留めたはずの彼女は、しかし数日後、病院の屋上から吸い寄せられるように身を投げ、帰らぬ人となる。警察は早々に自死として処理しようとするが、その遺体に刻まれた無数の傷痕と、死の直前に見た彼女の瞳に宿っていた漆黒の絶望を感じ取った麻衣は、自身の平穏な生活と誇り高き地位の全てを投げ打つ決意をする。
彼女が向かったのは、闇の欲望が渦巻くナイトクラブ。昼の光の世界から夜の混沌へと身を投じ、一人のホステスとして潜入した麻衣は、女たちの悲鳴と男たちの卑劣な欲望が交錯する底なしの深淵へと足を踏み入れていく。その先に待ち受ける、巨大な権力と暴力の影。復讐の刃を研ぎ澄ませる麻衣の瞳は、次第に「女猫」としての鋭さと妖しさを帯びていくのだ。
この壮絶な物語の中心で、可愛かずみが見せる演技の凄み、そしてその肉体が放つ絶対的な存在感には、筆舌に尽くしがたい官能と神聖さが同居している。
劇中、ほんの数秒間、疾風のように画面を駆け抜けるあの瞬間。当時27歳という、女性として、そして女優として最も眩しく熟しきった瞬間の可愛かずみが披露する、見事なまでに引き締まった立派なヒップと、黄金比の美しさを誇る完璧なバスト。それは単なる肌の露出やエロティシズムの提示などという次元を遥かに超越している。カメラのレンズを通し、光の粒子となって永遠にフィルム(そして磁気テープ)に刻み込まれたその肉体は、あたかもミケランジェロの彫刻か、あるいはルネサンスの画家たちが生涯をかけて追い求めた聖母像のごとき「美の絶対領域」へと到達しているのだ。二度と再現することの不可能な、奇跡のバランスの上に成立した最高級の芸術品。この一瞬を目撃するためだけに、我々はこの映画を繰り返し再生し、画面の前で平伏し続けると言っても過言ではない。
思考をめぐらせてみれば、彼女のその早すぎる生き様と、我々が抱き続ける情念のありようについて、深い感慨を抱かずにはいられない。幾年もの月日が流れ、いつしか我々は彼女が駆け抜けた年齢を遥かに追い越してしまった。しかし、画面の中で永遠の輝きを放ち続ける彼女に対する我々の愛憎と渇望は、衰えるどころか年を追うごとにその密度を増している。
スクリーンや写真集の向こう側に存在する彼女と、脳内で、そして魂の奥底で幾度となく繰り広げられる架空の交わり。それは決して浅ましい欲望の産物などではない。むしろ、この世を去ってしまった孤高のミューズに対する、最も濃厚で、最も切実な「生の肯定」であり、魂の供養そのものではないだろうか。己の生命力を極限まで高め、肉体の奥底から湧き上がる衝動とともに彼女の名を呼び、情念を放散させること。その行為こそが、時空を超えて彼女の霊魂と深く交わり、精神的な歓喜を分かち合う唯一無二の儀式となり得るのだ。彼岸の地において、いつの日か果たされるであろう念願の姦通と魂の融合——その刹那を夢見ながら、我々は今夜も彼女の影を追い続ける。
奇しくも、1983年のオリジナル版『女猫』で主演を務めた伝説の女優・早乙女愛もまた、我々の前から突如として姿を消し、急逝してしまった。この「女猫」という宿命的なタイトルを背負った二人の美しき女優たちが辿った運命の糸には、何か抗いがたい映画の魔力が宿っているように思えてならない。彼女たちが命を削って残した映像美に対し、我々が勃起し、射精し、身も心も悶絶させること。これこそが、命を賭して美を表現した女性たちに対する、男側の準備し得る「最上の敬意表現」であり、極限の賛辞なのである。
幾人もの男たちが、可愛かずみという唯一無二の太陽に焼き尽くされてきた。市場を賑わせた同姓同名のアイドルやタレントたちの影に惑わされることもなく、我々が愛し続けたのは、ただ一人、あの儚くも妖艶な可愛かずみだけだった。彼女の残した写真集『ふりむかないで』のページをめくり、『愛ドル』の甘美な吐息に耳を澄ませるとき、我々は再びあの90年代の濃密な闇と熱気の中へと引き戻される。
北詰友樹のシャープな存在感、篁友紀子、相沢朱音、奥野匡、西村淳二、市川勇、永居光男、松岡稜士、所博昭、クライヴ・デイビス、大出俊といった重厚なキャスト陣が脇を固め、伊藤葉子、荒木美操、三宅ゆみか、梶原玲子、マリー・デミック、リンダ・バレンシア、エンゼルプロ、そして梅津栄や高橋長英といった名優たちが画面の重厚さを極限まで高めている本作。山川繁による哀愁を帯びた音楽が流れる中、復讐を果たした「女猫」の眼差しは何を見つめていたのか。
今夜もまた、彼女の美しさに魂を射抜かれ、身を焦がしながら情念を捧げる夜がやってくる。生きていることの切なさと、二度と戻らない光への執着を抱き締めながら。
今日わかった またヌく日が イキがいの 悲しいDESTINY
映画『女猫 美しき復讐者』は、単なるVシネではない。それは可愛かずみという不滅のミューズが、我々の魂に打ち込んだ永遠の刻印であり、未来永劫語り継がれるべき官能と哀愁の金字塔なのである。
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