映画「エスパイ」公開50周年記念Blu-ray
小松左京の原作をもとに、『日本沈没』に続いて東宝が総力を結集して放った超能力を駆使するエスパイたちの壮絶なサイキック・バトルを描いた映画『エスパイ』(1974)が、劇場公開50周年を記念して初めてBlu-ray化されます。
50周年記念の特典として制作された全カラー88ページの豪華ブックレットには出演の藤岡弘、さん、由美かおるさん、草刈正雄さんによるインタビューや、世界的な大ヒット映画「エクソシスト」(1973年)で悪魔に取り憑かれた少女を演じたリンダ・ブレアが出演するはずだった幻のバージョンの経緯も紹介、また、アクションシーンなどの撮影風景や記者発表を記録した貴重なニュース映像(スポニチニュース)や海外予告編などもある特典映像も必見です。
VFXなど全くない半世紀前の時代、昭和の「ゴジラ」シリーズや劇場版「日本沈没」(1973)の特撮を担当した中野昭慶特技監督が熟練の特撮技術を駆使し映像化した、テレキネス、予知、テレポーテーションといった超能力の数々を、Blu-rayの鮮明な画質で楽しんでいただけます。
原作「エスパイ」60周年
原作である「エスパイ」は1964年に週刊漫画サンデーで連載されたもので、小松左京にとって「日本アパッチ族」、「復活の日」に継ぐ三作目の長編にあたります。
日本初の本格的なエスパー(超能力者)小説とも言われており、今年60周年を迎えました。
『エスパイ』は『週刊漫画サンデー』で連載されていましたが、同じ時期に掲載されていたのは、山田風太郎さんの傑作『甲賀忍法帖』でした。
早川書房で「エスパイ」が単行本化された際、解説を書いたSFマガジンの編集長であった福島正実さんは、この作品を『わが国で書かれた はじめての本格的なエスパー(超能力者) 小説』と評価していました。
日本では、「幻魔大戦」(平井和正)、「ねらわれた学園」(眉村卓)、「バビル二世」(横山光輝)、「AKIRA」(大友克洋)といった超能力をテーマにした様々な作品が生み出されていますが、その先駆けとなったともいえる存在です。
映画「エスパイ」概要
エスパイ——それは人並み外れた超能力を持った人間(エスパー)によって組織された国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。秘密機構であり、どの国家にも属さずに世界平和を守る正義の力だ。このエスパイたちにとって、恐るべき挑戦者が現れた。世界各地で VIP を暗殺する“逆エスパイ”の存在である。彼らへの対策に苦慮する中、エスパイの日本支部長・北条(加山雄三)は、部下の田村(藤岡弘)とマリア(由美かおる)を使って、超能力を持ったテストドライバーの三木(草刈正雄)をスカウトし、超能力のトレーニングを課していた。ある日、イスタンブールからの情報により、逆エスパイがバルトニア首相の暗殺を企んでいることを知る。恋仲でもある田村とマリアはイスタンブールへと飛ぶが、
そこには逆エスパイの首領ウルロフ(若山富三郎)の罠が仕掛けられていた……!
*映画「エスパイ」公開50周年記念Blu-ray発売リリースより
Blu-ray特典“88ページ・オールカラーブックレット”
今回のBlu-rayの特典として、映画「エスパイ」の秘話満載の88ページ・オールカラーのブックレットが制作されました。
藤岡弘、さん、由美かおるさん、草刈正雄さんが語る、撮影当時の貴重なエピソードの数々、また、1967年の初の映画化企画から1974年の劇場公開まで、7年に及ぶ「エスパイ」映画化の歴史が、シナリオの変遷とともに詳細に紹介されています。
特に、1973年に公開され世界的な大ヒットとなった「エクソシスト」のヒロインであるリンダ・ブレアと東宝との出演交渉経緯、そしてリンダ・ブレアが予知能力をもったエスパイとして登場する幻のシナリオなどは驚くべきものです。
藤岡弘、さん(「エスパイ」製作時「藤岡弘」)、由美かおるさん、草刈正雄さんのインタビューを収録。
映画「エスパイ」への想い、そして撮影秘話の数々が披露されています。
藤岡弘、
「50年前の昭和の時代に、超能力の世界を映像化するという画期的な試みにチャレンジした、 その気概が全
編に満ちた作品だと思います。粗削りな部分もあるかもしれませんが、作品にみなぎるチャレンジ精神やこれまでにないものを作ろうという情熱を体感していただければと思います。
由美かおる
「わくわくしました。 エスパーとスパイを掛け合わせた言葉も魅力で、 面白そうだなって思いました。
もともと不思議なことに興味があって、超能力にも関心があったんです。 人間も宇宙の一部だから、そんな
力があっても不思議じゃないなって(笑)。
草刈正雄
加山さんが大好きだったので、すごく緊張したのを覚えています。
<中略>
もしかしたら笑っちゃうところもあるかもしれないけど、そういう部分も含めて『エスパイ』 を楽しんで欲しいで
すね。 ・・・・・・ リメイクをする時は、僕には加山さんの役をお願いします (笑)。
【映画「エスパイ】四つの台本の詳細】
「エスパイ」は原作発表の1964年から間もない1967年に映画化が検討され1968年にはシナリオ第一稿も執筆されていました。三橋達也さん、佐藤允さん、浜美枝さん、若林映子さんといった当時の人気俳優を集めた布陣でしたが、実現することはありませんでした。
しかし、『エスパイ』の映画化が二つのきっかけで再び動き出すことになります。小松左京の原作で、73年末に公開され大ヒットした『日本沈没』。そして74年春、ユリ・ゲラーのTV出演から始まった、スプーン曲げなどの超能力ブームです。
驚くべきことは、再始動した「エスパイ」のプロジェクトでは、アメリカ本部からの応援の大物エスパー・ジュディ役として『エクソシスト』(73)で主人公・リーガンを演じたリンダ・ブレアの出演が予定されていました。
ブックレットでは、第二稿、第三稿をもとに、リンダ・ブレアが演じる予定だったジュディのキャラクター詳細(人の死を予言する能力や草刈正雄演じるエスパー・三木との関係等)に踏み込むとともに、当時のメディアでの反応も合わせて紹介されいます。
特典映像/スポニチニュース5編
製作発表会の様子やアクションシーン撮影風景などのニュース映像5編(提供:スポニチクリエ)を収録。
藤岡弘、さんの吹き替え無しアクションシーンのメイキングや、初のアクションに挑む由美かおるさんの意気込み、加山雄三さんの大ファンで共演することに感激していた草刈正雄さんが、撮影の合間にシナリオをのぞき込みながら加山雄三さんから演技のアドバイスを受けているような一コマも。
さらに、エスパイの宿敵であり、ラスボス感満載の昭和の大名優、若山富三郎さんのメイクシーンなど驚くべき映像満載です。
・「早くもお正月の用意 由美かおる」
・「ガンバッてます 加山雄三」
・「わたしは女優? 由美かおる」
・「俺は超能力者! 若山富三郎」
・「廃工場のアクションシーン 藤岡弘」
『エスパイ』公開 50 周年記念 Blu-ray
品番:TBR34206D/POS:4988104140067
本編 94 分/カラー/シネスコサイズ
原作:小松左京 脚本:小川英 監督:福田純 特技監督:中野昭慶 製作:田中友幸/田中文雄 音楽:平尾昌晃/京建輔
出演:藤岡弘/由美かおる/草刈正雄/加山雄三/若山富三郎
(C)1974 TOHO CO.,LTD.
◆Blu-ray(2 層 50GB)
●音声:①日本語モノラル ②オーディオコメンタリー
●字幕:日本語バリアフリー
●映像特典:特報
/予告篇/海外輸出用予告篇
/スポニチニュース(「早くもお正月の用意 由美かおる」「ガンバッてます 加山雄三」「わたしは女優? 由美かおる」「俺は超能力者! 若山富三郎」「廃工場のアクションシーン 藤岡弘」)
/スチールギャラリー(静止画)
≪特典物≫
●アウターケース(三方背仕様)
●8 枚組ロビーカード ※縮小版になります。
●豪華ブックレット【オールカラー全 88 ページ】
・作品解説「エスパイ」原作から映画へ、台本の変遷
・藤岡弘/由美かおる/草刈正雄/浅田英一(助監督)インタビュー
・「脚本家・小川英の思い出」文・大川俊道(脚本家)
・宣材紹介:ポスター/チラシ/プレスシート/劇場パンフレット

1974年。昭和という激動の季節が、オイルショックの冷たい風と、オカルト・超能力ブームという熱病のような狂騒の中で揺れていたあの時代。12月28日の正月映画として銀幕に解き放たれた『エスパイ』は、日本映画史、ひいては特撮・SF映画史における「最大の特異点」であり、今なお烈火のごとき情熱を放ち続ける奇跡の結晶である。
東宝が誇る破格のスケールSF『日本沈没』(1973年)の興奮冷めやらぬ中、同じく小松左京という巨星の原作を実写化するという大プロジェクト。しかし、そこで選択されたのは、重厚なカタストロフドラマではなく、超能力(ESP)とスパイアクションを融合させた、前代未聞のサイキック・エンターテインメントだった。世界を股にかける超能力秘密防衛機構「エスパイ」と、世界支配を目論む暗黒の超能力集団「逆エスパイ」の死闘。この大真面目かつ過激なコンセプトに、当時の日本映画界が持てるすべてのマンパワーと知性、そして狂気にも似たバイタリティを注ぎ込んだ。その熱量の正体を、激動の撮影現場を支えた表現者たちの魂の叫びから、いま鮮やかに解き放ちたい。
超能力という「目に見えないエネルギー」を、いかにしてスクリーンに「実」として定着させるか。その絶対的な中心軸として存在したのが、主演・田村良夫役の藤岡弘(現・藤岡弘、)である。当時、国民的ヒーローから東宝アクションの若き巨頭へと駆け上がっていた藤岡の佇まいは、単なる役者の域を超え、一種の精神的求道者、古武士の風格を帯びていた。「実を持って虚となす」――これこそが藤岡の映画人生を貫く至高のモットーであり、本作の骨肉となった哲学である。
藤岡が演じた田村良夫は、世界平和のために人知れず命を賭ける超能力戦士だ。台本を読んだ段階では、まだ見ぬサイキック視覚効果の仕上がりが想像もつかなかったと藤岡は述懐する。だからこそ、彼は「内面からにじみ出る実在感」を徹底的に研ぎ澄ました。超能力という一歩間違えれば嘘っぽくなる「虚」の世界を支えるためには、肉体と精神の圧倒的な「実」が必要不可欠だったのだ。
当時の藤岡の自己管理と鍛錬は狂気的ですらあった。過去の壮絶な撮影事故を乗り越え、「二度とあのような経験はしない、させない」という不退転の決意のもと、毎朝のランニング、ストレッチ、ウエイトトレーニング、そして武道の型を撮影の合間にみっちりと叩き込む。人目を避けてサウナの中で腕立て伏せを限界まで繰り返すその姿は、周囲から見れば畏怖の対象でしかなかった。だが、その過酷なまでの自己規律が、劇中で田村が放つ「本物のオーラ」としてスクリーンに結実する。
武道家でもある藤岡は、技を磨くだけでは到達できない「気」の領域、生体エネルギーの存在を確信していた。戦地や過酷な探検の地で本物のゲリラに銃口を突きつけられた際、絶対に目をそらさず、言葉を超えた精神の波動で「私は敵ではない」と伝えて窮地を脱したという、嘘偽りのない実体験。この「斬る前にすでに斬っている」という第六感の領域こそが、彼が『エスパイ』の現場に持ち込んだ生々しいリアリティの正体である。
本作において藤岡は、工場の窓からの決死の飛び降りスタントをはじめ、陸海空あらゆるメカニクスを駆使するアクションをすべて自らこなした。劇中、凄まじい緊迫感をもたらす飛行機の蛇行シーンや、後年のハリウッドの超大作アクションすら予見していたかのようなテレポーテーションの瞬間。そこにはCGの冷たさとは無縁の、本物の人間の肉体が放つ生命の明滅がある。藤岡が世界最高峰のアクションスターと共鳴するのも当然の帰結であり、彼が映画に刻んだのは「演じられた超能力」ではなく、「極限まで高められた人間の意志」そのものだった。
その藤岡の野生的な硬質さと見事な対比をなし、映画に狂おしいほどの華やかさとエロティシズム、そして神秘性を添えたのが、エスパイの紅一点・マリア原田を演じた由美かおるである。
原作者である小松左京がテレビ番組『11PM』時代からその才能と美貌に惚れ込み、直々の推薦によってキャスティングされた由美。彼女の存在は、当時の男臭い東宝アクションの現場において、文字通り「輝かしい光」そのものだった。由美が劇中で披露する、催眠状態に陥った中での小悪魔的かつセンセーショナルなダンス、そして下着を剥ぎ取られるヌードシーンは、当時の観客のみならず、現場の全スタッフをも劇的に狂わせ、同時に至高の目の保養となった。
「自分はどちらかというと古風な人間」と語る由美は、その撮影中、胸の鼓動が鳴り止まないほどの緊張と恥じらいを抱えていたという。しかし、名門バレエ団で培われた至高のプロポーションとリズム感、そして「自分にないものを表現する」という女優としての強烈なチャレンジ精神が、その羞恥心を美しき芸術へと昇華させた。美女と野獣の構図のごとく、巨漢の黒人俳優に襲われるバイオレントなシチュエーション。その張り詰めたエロティシズムは、映画にただならぬ緊張感を与え、エンターテインメントとしてのエッジを極限まで尖らせた。
さらに興味深いのは、由美自身が持つ、オカルトブームを体現するかのようなスピリチュアルな直感力である。かつて京都での撮影中、深夜に突如として「病院へ行かねばならない」という強烈な予感に襲われ、窓の外に爆発のような謎の光景を見た瞬間、入院中だった実兄の急逝を察知したという生々しい怪異譚。この、人間の神経細胞を流れる微弱な電気や生体エネルギーに対するリアルな感覚が、マリア原田という第六感の戦士に不思議な実感を授けていた。呼吸法を極め、自らの感覚を常に研ぎ澄ましていた由美にとって、超能力とは荒唐無稽な嘘ではなく、「人間が宇宙の一部として本来持っている、磨き得べき光」だったのだ。藤岡の「気」と、由美の「光」。この二つの生体エネルギーが交錯した瞬間、映画は単なるフィクションを超えた。
この強烈な個性派たちの中に、瑞々しい新風を吹き込んだのが、新任エスパイ・三木次郎を演じた草刈正雄である。
当時、篠田正浩監督の『卑弥呼』で映画界に鮮烈なデビューを果たし、圧倒的な美貌とフレッシュな魅力でトップモデルからスター俳優への階段を爆進していた草刈。彼にとって『エスパイ』の現場は、銃を構え、超能力を操り、縦横無尽に駆け巡るという「男の子の好きな要素が満載の、夢のような遊び場」だった。撮影中、楽しさのあまりずっと心が舞い上がっていたと語る草刈の、その純粋で飄々とした好青年の輝きが、シリアスになりがちな超能力大戦に絶妙な軽快さとポップな娯楽性をもたらしている。
日本とアメリカ、二つの高貴なDNAを併せ持ったその抜群のスタイルと甘いマスクは、国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。色豊かな『エスパイ』の世界観に完全に合致していた。のちに小松左京原作の超大作『復活の日』(1980年)において、海外マーケットを意識したプロデューサー角川春樹によって「その世界に通用する顔」を見初められ、日本を代表する大役を射止めることになる草刈だが、その世界基準のスター性の片鱗は、すでにこの『エスパイ』の三木次郎役として完全に開花していた。
劇中、草刈は相棒である能力犬シーザーと共に過酷な任務に挑む。ベテラン陣の圧倒的なオーラに圧倒されながらも、先輩である藤岡弘のどこまでも優しい後輩思いの情に支えられ、草刈はのびのびとその魅力を爆発させた。クライマックスの大崩壊シーン、激しく揺れ動く地面と落下する巨大なシャンデリア。その阿鼻叫喚の特撮空間の中で、泥臭くもスタイリッシュに生き抜く草刈の姿は、冷徹なSFの世界観に人間味という名の温かい血を通わせたのである。
しかし、これほどまでに豪華で情熱的なキャスト陣が揃いながら、本作の製作期間はクランクインからクランクアップまで、わずか「39日間」という、大作映画としては信じがたいほどの強行軍であった。すべてが激動し、次から次へと押し寄せるカットをこなさなければならなかった過酷な現場。その驚異的なスピード感の中で映画のクオリティを限界まで引き上げたのが、本編班の助監督として前線を死守した浅田英一、そして辣腕を振るった監督・福田純の手腕である。
福田純監督は、時間のかかる無駄な撮影や、遠方への長々としたロケを徹底的に嫌う、超合理主義の職人肌であった。だが、その合理主義の裏には、映画の「テンポ」と「繋ぎの魔術」に対する絶対的な自信が隠されていた。ひとつのシーンの中に全く異なるロケーションが混在していようとも、カメラのパンひとつの動き、役者の視線の誘導ひとつで、すべてが地続きの同じ場所であるかのように錯覚させる福田マジック。
毎朝、撮影所に出社すると、記録の小林孝子が監督の台本から写し取った画コンテが用意されており、浅田ら助監督陣はそれを必死に自らのノートに書き写すことから一日が始まった。その無駄のない緻密な設計図に従い、目まぐるしい速さで本番が繰り返される。台本を読んだだけでは表現レベルが分からず、嘘っぽくなることを危惧していた役者陣が、完成したラッシュ(試写)を観た瞬間、あまりの素晴らしい仕上がりに一様に驚愕したというエピソードは、福田監督をはじめとする日本の映画職人たちの、技術的勝利を雄弁に物語っている。
そして、『エスパイ』をただのアクション映画から、日本映画史に深く刻まれる「怪物映画」へと変貌させた決定的な要因は、逆エスパイの首領・ウルロフを演じた若山富三郎の参戦に他ならない。
東映京都の絶対的な重鎮であり、圧倒的な武術の達人にして怪優。その若山が初めて東宝の撮影所に乗り込んでくるということで、東宝のスタッフやプロデューサー陣は戦々恐々、現場は極限のピリピリとした緊張感に包まれていた。だが、銀幕での恐るべき悪魔的な怪演とは裏腹に、素顔の若山は、信じられないほど低姿勢で、周囲への細やかな気配りを忘れない至高の映画人であった。
大の甘党であった若山は、セット初日、東映京都の撮影所近くにある馴染みの和菓子屋から、大量のおはぎやあんころ餅をスタッフ全員のために差し入れ、一気に現場の心を掌握した。スタジオの待ち時間には、自身のお付きの者がテーブルに並べた高級なシャツやセーターを指差し、「藤岡くん、草刈くん、好きなものを持っていきなさい」と、若き後輩たちを実の弟のように可愛がる器の大きさを見せた。映画はスタッフとキャストが一丸となって作るもの。その絶対的な信念が、若山の血肉には流れていた。
しかし、ひとたびカメラが回り、その芸術的執念に火がつけば、若山は本物の「修羅」へと変貌する。御殿場の足場の悪い極悪なロケ地での撮影。若山は自らスタントをこなし、見事なトンボ(宙返り)を切ってみせた。だが、完璧を求めるカメラマンやスタッフが、足場の悪さゆえに二度、三度と再撮影を要求した瞬間、若山のプロとしての怒りが大爆発した。「なんだ! どこが悪いんだ!」と咆哮するその凄まじい迫力に、現場の誰もが息を呑み、恐怖に震え上がったという。その妥協なき闘争心が、劇中のウルロフの、有無を言わせぬ絶対的な巨悪としての説得力へと直結した。
とりわけ、映画の歴史に深く刻まれたのが、クライマックスにおけるウルロフの壮絶な炎上シーンである。東宝撮影所の大プール裏に組まれた大規模なオープンセット。若山のスタントを務める命知らずの男が、耐火用のレーシングスーツと特殊なお面を装着し、全身にウエス(ボロ布)を巻きつけて完全武装する。この時、黒澤明監督の現場も経験してきた大ベテランの装飾スタッフ・浜村幸一から、過酷な指導が入る。「絶対にウエスを水で濡らすな」。素人考えでは濡らした方が安全に思えるが、濡れた布に強烈な火炎が浴びせられれば、内部の水分が一瞬で沸騰し、熱湯を浴びるのと同じ凄惨な大火傷を負うことになる。現場の命を守るための、冷徹な職人の知恵。
そして、炎が放たれた。スタントマンの身体が、文字通りの「人間松明」と化す。激しい業火に包まれたウルロフが、一歩、また一歩と前方に歩み出す。カメラを回す福田監督は、一向に「カット」の声をかけない。現場の浅田英一らが「まだか、もう限界ではないか」と息を詰め、あまりの時間の長さに恐怖したその瞬間、スタントマンが炎の熱量に耐えかねて地面に崩れ落ちた。その刹那、福田の「カット!」の怒号が響き渡り、スタッフが一斉に濡れた毛布を抱えて炎に飛び込んでいった。この、文字通り命を削りながら生み出された「全身火だるま」の特撮カットには、CGでは絶対に再現不可能な、観る者の網膜を焼き尽くす本物の「死の恐怖」と「執念」がみなぎっている。
こうした狂気的な本編のアクションを、さらに誇大妄想的なSFスペクタクルへと昇華させたのが、東宝が誇る特技監督・中野昭慶の爆発的イマジネーションである。福田純と中野昭慶。この二人の天才は、まさに「阿吽の呼吸」で結ばれており、細かな言葉を交わさずとも、互いの演出意図を完璧に理解し合っていた。
バルトニア国首相が演説を行う広大な国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。会議場のセットは、東宝撮影所の巨大ステージを文字通り埋め尽くすスケールで建造された。天井にそびえ立つ壮麗な巨大シャンデリア。これは合成処理ではなく、美術スタッフによって見事に実物として再現された別セットであり、中野特撮の「手作りの極致」とも言えるミニチュア処理によって、壮絶な大崩壊とともに劇的に落下する。
さらに、逆エスパイ側の超能力者・巽(内田勝正)らが放つサイキックの激突によって、生身の人間たちが壁に向かって弾き飛ばされ、ドーンと叩きつけられる「人間飛ばし」のシーン。撮影現場では、ゴム製の強力なショックロープと滑車付きの台車を用い、実写のアクションとして人間を物理的に激突させた。この荒々しい実写の衝撃波と、中野特撮による光線やオーラの視覚効果が奇跡的な融合を果たしたからこそ、『エスパイ』の戦闘シーンは、現代のデジタルエフェクトが失ってしまった「質量のある痛み」を観客に与え続けるのだ。
25歳の若き青年として、この熱狂の最前線でカチンコを叩いていた浅田英一が、何よりも鮮烈に記憶していると語る光景がある。それは、由美かおるの下着姿のシーンだ。マリア原田が催眠に侵され、怪力のアブドウラ(ウィリー・ドーシー)に襲われて下着を剥ぎ取られるその瞬間。浅田は二人のわずかな隙間にしゃがみ込み、カメラのフレームギリギリに手を伸ばしてカチンコを掲げていた。
「見ちゃいけない」という青年の純情な羞恥心と、「芝居なのだから、すべてを厳格に見届けなければならない」というプロとしての義務感が、彼の脳内で激しく葛藤し、爆発していた。全スタッフの視線が集中し、張り詰めたエロティシズムと暴力性が交錯する空間。そこでカチンコを打つ浅田の指先の震えは、そのまま、あの時代、あの映画が持っていた「剥き出しのパッション」の縮図であったと言えよう。
この、すべてが過剰で、すべてが本気だった『エスパイ』の物語を、一本の筋の通った超一級のエンターテインメントへと仕立て上げた陰の立役者こそ、脚本を手掛けた伝説の劇作家・小川英である。
日活のムードアクションで頭角を現し、のちにテレビ界へと乗り換えてからは『太陽にほえろ!』を筆頭に、優に千本を超える脚本を執筆した不世出の巨人。白髪に髭を蓄え、作務衣を着てタバコを深くふかしながら、ワープロに向かって黙々と文字を打ち込み続けるその姿は、まさに「魔界の仙人」そのものであった。
小川の手腕は、まさに魔術的であった。弟子である大川俊道が、締め切りギリギリに手書きで書き上げた粗削りな脚本を小川に手渡すと、小川は渋谷の印刷屋の二階にある小さな部屋へと連れて行き、ビールを煽りながら、その場でスイスイとペンを入れていく。職人たちが次のページを今か今かと待つ中、魔法のように完璧なプロットと、胸を打つセリフが原稿用紙に紡がれていく。その圧倒的な構成力とスピード感は、まさにプロフェッショナルという名の怪物の仕業であった。
後年、映画『伊賀忍法帖』(1982年)の執筆依頼が舞い込んだ際、角川映画側が提示した「ギャラは500万円。ただし締め切りは厳守、一日でも遅れたら一銭も支払わない」という極悪なまでの絶対条件に対し、小川はわずか「三日間」で完璧なシナリオを書き上げ、そのまま決定稿にしてみせたという驚天動地の伝説が残されている。そのタフネス、その職人としての矜持。さらに、晩年に視力が著しく低下し、酸素吸入器や点滴の管を全身に繋がれた病床にあっても、原稿を拡大コピーして推敲し、最後には夫人に口述筆記をさせながらNHKの人形劇『人形歴史スペクタクル 平家物語』を死に物狂いで書き続けたという、文字通り命が尽きる瞬間までペンを握り続けた壮絶な鬼気。
この、小川英という「命を削って物語を紡ぐ表現者」が、その全盛期において、小松左京の壮大な超能力の世界観を2時間の映画へと凝縮したのが『エスパイ』なのだ。小川がシナリオに込めたのは、単なる超能力のアイデアではない。極限状態における人間の心情、男たちの哀愁、そして悪の側にさえ宿るある種の悲痛な美学。映画がどれほどケレン味あふれる特撮で彩られようとも、その骨組みには、小川英という仙人が冷徹かつ温かい眼差しで捉えた「本物の人間ドラマ」が脈打っていた。だからこそ、この映画は半世紀を経た今でも、プロットの破綻なく、観る者の胸に刃のように突き刺さるのである。
『エスパイ』が公開されてから、50年以上の歳月が流れた。
今や映画界はCGとデジタル技術に席巻され、どんなに不可能な映像であっても、机上の計算とプログラミングによって完璧に作り出せる時代となった。しかし、だからこそ、あの昭和49年の年末に、日本の映画人たちが、限られた予算と機材の壁を、自らの肉体と、命がけの火だるまスタントと、手作りのミニチュア、そして「新しい映像文化を切り拓くのだ」という狂おしいまでのチャレンジ精神だけでブチ破ろうとした、あの凄まじい熱量が、いま猛烈に愛おしく、そして尊い。
藤岡弘が語った言葉が、いま改めて現代の我々の胸に、最後の雄叫びのように響き渡る。
「実を持って虚となす。見えないものこそが大事であり、それを受け止める感性がなければ、危機を察知することはできない」
映像は国境を越える。日本の伝統、精神性、そして職人たちの緻密な技工。かつて東宝のアクション映画が、黒澤明が、福田純が、中野昭慶が、小川英が、そして命を賭けた役者たちが築き上げた輝かしい遺産。それを単なるノスタルジーとして埋もれさせてはならない。映画『エスパイ』にみなぎる、あの粗削りながらも天を衝くような刷新の気風、これまでにないものを生み出そうとした爆発的なパッション。それこそが、時代を超えて観る者に勇気を与え、魂を歓喜させるエンターテインメントの本質なのだ。
銀幕の奥で、炎に包まれながら不敵に笑うウルロフ、それを睨みつける田村良夫の鋭い眼光、美しく舞うマリア原田の光、そして不敵に銃を構える三木次郎の煌めき。あの熱狂の39日間に命を吹き込まれた超能力者たちは、今もなお、我々の眠れる感性を呼び覚ますために、スクリーンの向こう側から強烈なサイキック・ウェーブを放ち続けている。その情熱の爆発を、今こそ全身で受け止めよ!