注意事項
易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 商品所在地距離海外收貨處(神奈川)較遠,請注意日本運費
google翻譯
google 翻譯僅供參考,詳細問題說明請使用商品問與答
サイズは、径12 、6 × 高さ8,2× 高台径6 、3 ㎝です。… ホツ・ニュウはございません。美品です。共箱入りです。昭和初期の作です。
一連の茶道具はお茶の先生宅よりお譲りいただいたものです。
【上野焼の歴史と庚申窯( こうしんがま) 】
1884 年(明治十七年)に十時 器八郎(ととき きはちろう)が作陶から手を引き、上野焼本筋の窯は途絶えてしまいます。 そこで1899 年(明治三十二年)地元有志、熊谷 九八郎(くまがい くはちろう)、高鶴 萬吉(こうづる まんきち)らが復興に着手します。田川郡からの補助金をたよりに細々と窯を築き、しばらく製陶に取り組みますが当時は陶作品の購入者は稀で、一度は窯小屋の火災に遭うなど苦労の時代でした。 こうした中、萬吉には子供ができず、ついには製陶から手を引き熊谷だけが残り、窯を存続させました。 1938 年に入ると高鶴 萬吉の弟の子鱗作(りんさく)が上野窯復興を思い立ち号を高鶴 城山( こうづる じょうざん) として高田焼( こうだやき) の上野(あがの)兄弟を呼び寄せて着手し、高鶴(こうづる)本窯を築きます。 翌年1939 年から製陶を開始しますが、世情は日本事変に入り1941 年には第二次世界大戦が始まります。1944 年に政府は美術工芸保存の資格認定の許可制を作り、これを切り抜けるも1950 年頃までは販売は僅少でした。1955 年に高鶴(こうづる)本窯は長男の茂勝(しげかつ)(号は高鶴 夏山)に家督を譲ります。 1971 年に城山の末子であった高鶴 智山( こうづる ちざん) が39 歳とのときに庚申窯( こうしんがま) を築窯し、翌1972 年から営業を始めます。作品の向上を図り特別に薪専用の窯を建設し、昔日の作品に劣らないものを目指し日夜研鑽を重ねています。
>