新潟市新津鉄道資料館(にいがたし にいつてつどうしりょうかん、英称:Niigata-City Niitsu Railway Museum)は、新潟県新潟市秋葉区に所在する鉄道保存展示施設である。
新潟市が施設の所有かつ運営管理を行っており、旧新潟鉄道学園跡地である新潟市新津地域学園内に所在する「本館」(新津東町2丁目)と[2]、新津駅東口傍に所在する「新津駅中サテライト ていしゃば」(新津本町1丁目)の2施設から構成されている。
歴史
新潟鉄道教習所
新潟鉄道管理局は1937年(昭和12年)7月、新潟市下所島(現:中央区幸西)に新潟鉄道教習所を開設した[3][2]。
後に1964年(昭和39年)6月の新潟地震により新潟鉄道教習所は建物等が壊滅、1966年(昭和41年)7月に新津市西金沢(新津市 東町を経て、現:新潟市秋葉区新津東町)まで移転し新たに竣工された[2][3]。後には新潟鉄道学園に改組され、33,277平方メートルの敷地に、17の普通教室を備えていた[3]。
新潟鉄道学園(新津市)[3]
設置学科 施設概要
幹部研修科
普通学科
運輸科
運転科
施設科
電気科
工作科
本館(5階建;暖冷房装置)
普通教室 - 17教室
特別教室
図書室
寄宿舎(4階建;2棟暖房装置) - 収容人員 350人
実習館(2階建) - 運輸、運転、施設、電気、工作の各科用
体育館
付属施設 - 浴場、食堂、喫茶室、集会室、楽室等
屋外運動場 - 野球場、テニスコート、バレーコート
開館の経緯
新津市(現:新潟市秋葉区)の新津車両所(新津車両製作所→現:総合車両製作所新津事業所)の敷地脇に所在した、新潟鉄道病院・新津分室が1982年(昭和57年)3月を以って廃止されたのに際して[2]、「鉄道の町・新津市の鉄道文化を後世に伝承したい」として日本国有鉄道の職員OBや鉄道ファンなどが中心となって、鉄道を題材とした資料館の設置を求める動きが起こり、当時の新津市が旧分室の施設を活用して1983年(昭和58年)10月14日(鉄道記念日)、「新津市鉄道資料館」として開館した[2][4][5]。開館に際し、国鉄OBを中心とした市民から数多くの資料提供を受け、当時の資料数は静態保存車両を含め約2,000点を有した。
また新潟鉄道学園は、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際して廃止・閉鎖された後[2]、1997年(平成9年)4月に新津市が施設を買収し公民館施設へ転用されることになり、施設名称を「新津地域学園」とした[2]。加えて鉄道資料館も旧施設の老朽化などから地域学園の別棟へ移転するに至り、1998年(平成10年)4月1日に開館した[6]。この際に静態保存車両は東日本旅客鉄道(JR東日本)へ返却されたが、この移転時にも市民から数多くの資料提供を受けた。
また、2005年(平成17年)3月21日に新津市が新潟市へ編入合併されたことに伴い、地域学園は「新潟市新津地域学園」に改称し、鉄道資料館も現名称に改称した[2]。後述するリニューアル事業着手前の2012年(平成24年)時点において約8,600点の資料を所蔵していた。
新津鉄道資料館活性化計画
しかし鉄道関連の展示施設でありながら、最寄りの新津駅などが所在する新津地区中心部からは直線で約2 km、徒歩20分強とやや離れており、新津駅からの路線バスも運行本数が少ないなど、公共交通によるアクセスも良好とはいえない立地条件下にあるのに加え、当時の展示内容は鉄道関連の機器に関するものが中心で、鉄道の文化に関する展示が乏しく、また移転以降は長らく静態保存車両を保有していないなど、より充実した展示内容への転換が必要とされていた。こうした事情から2011年(平成23年)夏、新津地区の経済界を中心に、鉄道資料館の新津駅近隣への移転を求める動きが起こった[7]。
鉄道教習所
鉄道教習所
国公私立の別 官立学校
設置者 鉄道大臣
設立年月日 1939年(昭和14年)
所在地 札幌、仙台、新潟、門司、広島、大阪、名古屋、東京
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1939年(昭和14年)、勅令第617号鉄道教習所官制により、教習所制度は一気に拡大した。鉄道省の部内組織から大臣官房養成科直属の独自の官制による正式な官立学校となった。
第一条 鉄道教習所は鉄道大臣の管理に属し鉄道職員に対し鉄道業務に須要なる知識技能を教授しかねてその徳性を涵養する所とす
—鉄道教習所官制(1939年 勅令617号)[13]
東京、大阪、名古屋、門司、仙台、札幌の教習所に普通部が復活した。 専修部も拡大された。
札幌鉄道敎習所 - 札幌市 [注釈 1]
仙台鉄道敎習所 - 仙台市[注釈 1]
新潟鉄道敎習所 - 新潟市[注釈 1]
門司鉄道教習所 - 門司市[注釈 1]
広島鉄道教習所 - 広島市[注釈 1]
大阪鉄道教習所 - 神戸市[注釈 1]
名古屋鉄道教習所 - 名古屋市[注釈 1]
東京鉄道教習所 - 東京市(豊島区西池袋)[注釈 1][14]
学科は
駅員車掌科
電信科
信号操車科
運転高等科
機関士科
機関助士科
検車科
電気機関士科
電気機関助士科
電車運転士科
土木高等科
工事科
保安科
線路科
工場作業科
車電科
電気科
通信機科
電気保安科
の計19学科で構成された。
1940年(昭和15年)には全鉄道教習所を青年学校の課程と同等以上に認定され[15]、東京鉄道局教習所専門部は徴兵猶予が認められ、配属将校も置かれるようになった[16]。
1943年(昭和18年)には樺太、新潟、広島の各鉄道局にも教習所が設置された。札幌、広島の教習所には船員養成所を附設した。
1945年(昭和20年)には四国と三島にも教習所が設置された。1946年(昭和21年)には三島、大阪の教習所に専門部を増設すると同時に各専門部、中等部(普通部を改称)の教習期間を3年に延長した。同年文部省から中等部は専検指定を受け、専門部は旧制専門学校として認定を得るとともに旧制高校高等科、大学予科と同等以上と認定された[17]。
終焉
正式の学校となった鉄道教習所であったが、1948年(昭和23年)、C.T.S(連合軍総司令部民間運輸局)から単線型教育の学校体系を創設するため、教習所の教育は実務を中心とすべしという覚書が運輸省に送られた。1949年(昭和24年)限りで学校教育的色彩の強い中等部、専門部は廃止され、代わりに鉄道教育、職能教育に向けた専攻部、高等部、普通部を設けられた[2]。
1952年(昭和27年)8月5日、東京鉄道教習所及び三島鉄道教習所は中央鉄道教習所に改組されて地方機関から中央機関となり[18]、1961年(昭和36年)4月1日には中央鉄道教習所は中央鉄道学園に改称された[19]。
1965年(昭和40年)9月1日には、鉄道教習所は第一種鉄道学園、職員養成所は第二種鉄道学園に改称された[20][3]。さらに全国27か所にあった技能者養成所も、第一種鉄道学園もしくは第二種鉄道学園に統合された[3]。
中央鉄道学園 (廃止後は売却され武蔵国分寺公園)[21]
北海道総局 - 北海道鉄道学園 [21]
青函船舶鉄道管理局 - 函館鉄道学園 [21]
旭川鉄道管理局 - 旭川鉄道学園 [21](旭川市緑町21丁目[22])
盛岡鉄道管理局 - 盛岡鉄道学園 [21]
秋田鉄道管理局 - 秋田鉄道学園 [21]
仙台鉄道管理局 - 東北鉄道学園 [21](仙台市木下陸奥国分寺傍[23]; 後にJR東日本仙台研修センター,現在は聖和学園高等学校薬師堂キャンパス[24])
新潟鉄道管理局 - 新潟鉄道学園(新潟県新津市; 廃止され現在は新潟市新津鉄道資料館) [21][25]
東京北鉄道管理局 - 関東鉄道学園 [21][3] (大宮市日進町2丁目[26])
高崎鉄道管理局 - 高崎鉄道学園 [21]
水戸鉄道管理局 - 水戸鉄道学園 [21] (水戸市那珂川駅近隣; 現在は廃止)
千葉鉄道管理局 - 千葉鉄道学園 [21]
長野鉄道管理局 - 長野鉄道学園 [21]
静岡鉄道管理局 - 静岡鉄道学園 [21]
名古屋鉄道管理局 - 中部鉄道学園 [21]
金沢鉄道管理局 - 金沢鉄道学園 [21]
大阪鉄道管理局 - 関西鉄道学園 [21](吹田工場西側[27]。現在はJR西日本社員研修センター)
天王寺鉄道管理局 - 天王寺鉄道学園 [21]
福知山鉄道管理局 - 福知山鉄道学園 [21]
広島鉄道管理局 - 広島鉄道学園 [21](広島駅東側[28]; 現在は廃止)、下関鉄道学園(廃止され広島に統合[28])
下関鉄道学園
米子鉄道管理局 - 米子鉄道学園 [21]
岡山鉄道管理局 - 岡山鉄道学園 [21](岡山市西小松2丁目6-17[29]; 現在は廃止)
釧路鉄道管理局 - 釧路鉄道学園 [21]
四国総局 - 四国鉄道学園 [21](高松市; 現在は建て替えて四国旅客鉄道社員研修センター)
大分鉄道管理局 - 大分鉄道学園 [21]
門司鉄道管理局 - 鳥栖鉄道学園 [21](鳥栖市鳥栖市本町3丁目1489[30]; 現在は廃止)
門司鉄道管理局 - 九州鉄道学園 [21](現在は九州旅客鉄道社員研修センター)
鹿児島鉄道管理局 - 鹿児島鉄道学園 [21](鹿児島市武1-2-36[31];現在は廃止)
さらに国鉄分割民営化により、現在はJR各社の社員研修センターとなった。
東日本旅客鉄道総合研修センター
東海旅客鉄道総合研修センター
西日本旅客鉄道社員研修センター
四国旅客鉄道社員研修センター
九州旅客鉄道社員研修センター
→「動力車操縦者養成所」も参照