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▼商品詳細▼
1/43 BRUMM ランチア フェラーリ LANCIA FERRARI D50 1955年 ビンテージフォーミュラ イタリア製 MADE IN ITALY
イタリア製 ビンンテージイタリア車の重要なシリーズです。
車両本体状態良好です。箱に破れ等ありません。ショーケースにヒビ割れ等ございません。
画像10の状態で保管しております。
送料は490円です。おてがる版ゆうパック(匿名配送)も選択可能です。
~ランチア フェラーリ D50~
1954年から1955年 にかけてランチア がF1世界選手権 で使用したフォーミュラ1カー である。
その後スクーデリア・フェラーリ に譲渡され、1956年 は ランチア・フェラーリ D50 として使用された。
ランチアは1954年からF1世界選手権に進出することを計画した。開発主任のヴィットリオ・ヤーノ はD50の設計にあたり、
当時としては先進的な技術的挑戦を行った。
従来のフロントエンジン車は操縦席の下にドライブシャフトがあったが、D50はエンジンを前後中心線から12度オフセットすることで、
ドライブシャフトが操縦席の横(ドライバーの左側)を通るようにした。
これにより全高が低くなり、前面投影面積を小さくして
空気抵抗を減らすことができた。また、エンジンを シャーシ と接合し、 車体構造の一部とすることで剛性を高めた。この手法は1960年代後半からF1で普及するエンジンのストレスメンバー化の先駆けとなった。
燃料タンクは車体左右に張り出したサイドポンツーンの中にあり、燃料消費による重量バランスの変化を抑えた。
サイドポンツーンは前後輪間の空間を埋めるエアロパーツとしての役割も果たした。
ランチアは高額の契約金でフェラーリから2年連続チャンピオンのアルベルト・アスカリを迎えたが、D50の開発は遅れ、
デビューは1954年シーズンの最終戦スペインGPにずれこんだ。この年はメルセデス・ベンツ・W196が圧倒的な強さを見せていたが、
アスカリはポールポジションとファステストラップを記録してマシンの潜在能力を示した。
メルセデス・ベンツのエンジニア、ルドルフ・ウーレンハウトは後年、1950年代半ばに彼らが脅威を感じたマシンはヤーノが設計した
D50だけであったことを認めている。
1955年の第2戦モナコGPで、アスカリはトップに浮上した直後シケインから港に転落。海中から無事救助されたが、その4日後、
モンツァ・サーキットでテスト中に事故死した。エースドライバーの死と資金難に見舞われたランチアはF1撤退を決断。
D50はわずか4戦で姿を消すかと思われたが、イタリア自動車協会の仲介でフィアット、ランチア、フェラーリの3社交渉が行われ、
ランチアが6台のD50とレース資材一切をフェラーリに譲り渡し、フィアットが向こう5年間フェラーリに資金援助するという合意がなされた。
これに伴いヤーノら技術陣もフェラーリに移籍した。フェラーリは最終戦の地元イタリアGPでD50を投入したが、
イングルベールタイヤとの相性が悪く、フリー走行や予選でトレッドが吹き飛ぶアクシデントが続出したため、決勝での使用は見送られた 。
ランチア・フェラーリ D50
フェラーリに渡ったD50は改修を施され、1956年シーズンの主力マシンとして使用された。名称は「ランチア・フェラーリ D50
(またはフェラーリ D50)」と呼ばれた。
エンジンはショートストローク化され、D50の特徴であった外部燃料タンクは操縦席後方に戻された。
サイドポンツーンはメインボディと一体化されたが、内部は空洞である。フランスGP予選では空気抵抗を減らす
ストリームラインボディも試された。初戦アルゼンチンGPには旧車555F1の車体にD50エンジンを搭載したバージョンも持ち込まれた。
チームには前年のル・マン24時間レースの大事故でレース活動を止めたメルセデス・ベンツからチャンピオンのファン・マヌエル・
ファンジオが移籍してきた。フェラーリ勢は若手のルイジ・ムッソが1勝、ピーター・コリンズが2勝、ベテランのファンジオが3勝し、
コリンズとファンジオがチャンピオン候補となった。最終戦イタリアGPでファンジオはステアリング故障のためピットに戻るが、
ピットインしたコリンズからマシンを譲られレースに復帰し、4度目のドライバーズタイトルを獲得した。
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