loading.gif
注意事項
Letao - 海外代標代購第一品牌
JDirectItems Auction 鐘錶、飾物 名牌飾品 MIKIMOTO 耳環
【ミキモト真珠・イヤリング】SILVER刻印◆シルバー純銀製SV925昭和レトロオールドMIKIMOTO高級ブランドパール百貨店アクセサリー

  • 商品數量
    1
  • 起標價格
    3,999円
  • 最高出價者
    minayasu / 評価:310
  • 開始時間
    2026年03月28日 09時20分(香港時間)
  • 結束時間
    2026年04月04日 21時16分(香港時間)
  • 拍賣編號
    o1224489056
  • 商品新舊
    有傷損和汙損(在描述中說明)
  • 自動延長
  • 認証限制
    有(說明)
  • 提前結束
  • 可否退貨
  • 商品說明
  • 問與答()
  • 費用試算
  • 問題商品反映流程
注意事項
  1. 古董商品,有可能客製化、修改、換過零件,請下標錢注意。
  2. 易碎品限空運,非易碎品可使用海運。
google 翻譯僅供參考,詳細問題說明請使用商品問與答
旧ロゴ、ヴィンテージ商品です。SILVER刻印ありますが、うまく撮影できません!

株式会社ミキモトは、東京都中央区京橋に本社、東京都中央区銀座4丁目に本店をそれぞれ置く、宝飾品の製造、販売等を行う株式会社である。真珠の販売で世界一のシェアを持っている[要出典]。
1893年、アコヤ貝による真珠の養殖に世界で初めて成功した“真珠王”御木本幸吉が1899年3月、銀座に御木本真珠店を設立。海外での販売も積極的に行い、“ミキモトの養殖真珠は本物か模造品か”とパリで争われた「パリ真珠裁判」に勝利以後、養殖真珠が世界中に広まり、現在「ミキモト・パール」の名は世界に知られている[要出典]。
現在は、ハイジュエラーとして、東京・銀座4丁目本店、パリ・ヴァンドーム広場、ニューヨーク・5番街、ロンドン・ニューボンドストリート、中国、シンガポール、タイなど広く世界で展開している[1]。
1893年 - 御木本幸吉が世界初の真珠養殖(半円真珠)に成功。
1899年 - 御木本真珠店を銀座に開業。
1905年 - 真円真珠の養殖に成功。
1913年 - 海外(ロンドン)へ初進出。
1921年 - ロンドンとパリの宝石商から「ミキモトの真珠は模造品だ」と喧伝される。
1924年 - パリ真珠裁判に勝利。
1949年 - 養殖と加工、輸出を行う御木本真珠株式会社と販売を行う御木本真珠店を設立。
1951年 - 三重県鳥羽市に御木本真珠島を開業。同年昭和天皇が(昭和天皇の戦後巡幸)[2]。
1954年 - 創業者である御木本幸吉死去。
1972年 - 社名をミキモトへ改称。
2017年 - 銀座4丁目本店ビル建て替え。
関連会社
御木本製薬株式会社
株式会社御木本真珠島
株式会社ミキモト装身具

御木本 幸吉(みきもと こうきち、1858年3月10日(安政5年1月25日) - 1954年(昭和29年)9月21日)[1] は、日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。ミキモト・パール、真珠王とも呼ばれた。

生涯
誕生

御木本幸吉生誕地
志摩国答志郡鳥羽城下の大里町(現在の三重県鳥羽市鳥羽一丁目)で代々うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれた。父は音吉、母はもと。幼名は吉松と名付けられた。父は商売よりも機械類の発明・改良に関心があり、1881年(明治14年)には粉挽き臼の改良により三重県勧業課の表彰を受け賞金100円を授与されている。祖父・吉蔵は「うしろに目があるような人」と言われたように、先が見え商才に恵まれていた。大伝馬船を10艘も持ち石材の運送で儲ける一方、家業のうどん屋のほか薪、炭、青物などの販売を手広く営み財をなしたと伝えられる。幸吉は晩年、「三つ子の魂は祖父に育てられた」と述懐している。正規の教育は受けていないが、明治維新によって失業した士族の栗原勇蔵、岩佐孝四郎らに読み書きソロバン、読書などを習った。

商才と向上心と社交性
早くから1杯8厘のうどんでは身代を築くのは無理と分かっていたようで、14歳で家業の傍ら青物の行商を始める。大きな目標を掲げる事で自分自身に課題を与え自らを鼓舞するところがあり、時として大法螺吹きといわれた。足芸(仰向けに寝て足の平で蛇の目傘を回す芸)の披露で、イギリスの軍艦シルバー号へ青果や卵を売り込むのに成功した。また、マスコミを利用する点では今で言うやらせにあたるようなことも考え出し、実行するような勇み足もあったともいわれている。

真珠に到る助走路
1876年(明治9年)の地租改正で、納税が米納から金納に変わったのを機会に米が商売の種になるとみて青物商から米穀商に転換。1878年(明治11年)には20歳で家督を相続、御木本幸吉と改名する。同年3月の東京、横浜への旅により天然真珠など志摩の特産物が中国人向けの有力な貿易商品になりうることを確信、海産物商人へと再転身した。海産物商人としての幸吉は自らアワビ、天然真珠、ナマコ、伊勢海老、牡蠣、天草、サザエ、ハマグリ、泡盛など種々雑多な商品を扱う一方、志摩物産品評会、志摩国海産物改良組合の結成などに参加、地元の産業振興に尽力した。その後、志摩国海産物改良組合長、三重県勧業諮問委員、三重県商法会議員などを務め地元の名士になっていた。

時代の転換期に
幸吉の飛躍の始まりは明治維新という時代背景がきっかけである。職業選択の自由、身分を越えた結婚が可能になり富国強兵のスローガンの下で海国日本の殖産興業政策により1882年(明治15年)、大日本水産会が創設された。1881年(明治14年)、結婚。妻・うめは当時17歳。鳥羽藩士族・久米盛蔵の娘で新しい学制の小学校とその高等科を出た才女であり、維新以前ではこの結婚は考えられなかった。1883年(明治16年)、父・音吉が54歳で死去。

アコヤ貝の養殖
世界の装飾品市場では、天然の真珠が高値で取引されており海女が一粒の真珠を採ってくると高額の収入を得られる事から、志摩ばかりでなく全国のアコヤ貝は乱獲により絶滅の危機に瀕していた。この事態を憂慮して1888年(明治21年)6月、第2回全国水産品評会のため上京した折、主催者である大日本水産会の柳楢悦を訪ね指導を仰いだ。幸吉は同年9月11日に貝の養殖を開始したが、真珠を生まない限り商品としての価値が低く、経費倒れに終わった。このため発想を転換し「真珠の養殖」を最終目的に変え、その過程でアコヤ貝の生態を調べながら貝の養殖をすることで当初の目的が採算的にも果たされる事を計画。この目的の為に柳の紹介で東京帝国大学の箕作佳吉と当時大学院生だった岸上鎌吉を1890年(明治23年)に訪ね、学理的には養殖が可能なことを教えられた。

外国での養殖例
中国で実際行われた方法は乾道3年(1167年)に公刊された『文昌雑録』巻第一にその記述がある。仏像真珠(胡州珍珠)と称されて、浙江省で養殖され続けてきたものである。人工で作った珠を貝の中に入れるという方法で、貝付き真珠、一種の半円真珠である。この仏像真珠に関しては清に滞在したキリスト教神父B.E.X.アントレコールが1734年にフランス本国に報告している。また、イギリスのD.T.マッゴーワンは1853年にこの方法を詳しく首都ロンドンの芸術協会に報告している。これらの報告によりヨーロッパでは多数の人々が研究実験を行った。

日本では、1881年(明治14年)11月発行の『海産論』に中国の仏像真珠が図示されていることでもわかるように、ヨーロッパ経由での中国の方法が公知されており、課題は真珠養殖の産業化であった。産業化という国家の要請を背景に、幸吉の情熱と周囲の協力体制での取り組みが結果的に勝っていた事になる。

養殖実験開始
1890年(明治23年)、神明浦と相島(おじま、現在のミキモト真珠島)の2箇所で実験を開始した。この時小川多門、猪野三平等が協力した。問題は山積しておりアコヤ貝についての問題、どんな異物を貝に入れるか、貝は異物を吐き出さないか、貝は異物を何処に入れるか、その結果死なないか、貝そのものの最適な生育環境、赤潮による貝の絶滅への対応策等々である。その他の問題としては、海面及び水面下を利用する為の地元漁業者や漁業組合との交渉や役所との折衝には大変な苦労が伝えられている。

1891年(明治24年)、農商務省技手・山本由方による広島県厳島での真珠養殖実験を直接見聞。この時のアコヤ貝は英虞湾から幸吉らが移送に協力した。

1892年(明治25年)7月、東京帝大の佐々木忠次郎から貝の生存環境・養成上多くの示唆を得た。

縁者の協力
1893年(明治26年)7月11日、実験中のアコヤ貝の中に半円真珠が付着している貝を発見した。

1896年(明治29年)1月27日、半円真珠の特許(第2670号)取得で世の中に認知された第一歩となった。同年4月21日、妻・うめが32歳で死去。開拓者として当然の事ながら周囲は途方も無い事と感じ直接的に幸吉の作業を手伝う者は身近な親族だけであったが、特許取得をきっかけにまず親族が積極的に関わった。妻の弟であった久米楠太郎、幸吉の次弟・御木本松助夫妻、三弟・森井常蔵夫妻、須藤卯吉、1897年(明治30年)秋には幸吉の五弟・斎藤信吉、1899年(明治32年)には竹内久吉、猪野若造(猪野三平の子息)、藤田嘉助、大谷幸助らが従業員として田徳島(現・多徳島)に移住、「海のものとも山のものともわからぬ事業に一身をかける人間は身内以外にはいなかった」と幸吉の四女・乙竹あいが後に語っている。対して、大林日出雄『御木本幸吉』には「『ヒモのつく恐れのある出資は彼の事業独占を制約することがある』と考えたのではないか」と書かれていて、幸吉が大口出資を断った事実があることを記している。

その他研究には元歯科医だった桑原乙吉、次女みねの夫・西川藤吉が加わる。西川は東京帝大動物学科卒、農商務省に在籍し、箕作の下で真円真珠の科学的研究を行っていたが、1905年(明治38年)の赤潮の調査をきっかけに御木本の元で研究を始めた。しかし1909年(明治42年)6月、35歳で死去。同時代の研究者に見瀬辰平、西川藤吉の研究を引き継いだ藤田輔世、藤田昌世らがいる。

出店の歩み

真珠王記念碑。銀座四丁目の、かつて店舗があった場所に立つ。
1899年(明治32年) 東京府東京市京橋区弥左衛門町に御木本真珠店(本店)を開設。
1902年(明治35年) 御木本真珠店を京橋区元数寄屋町に移転。
1906年(明治39年) 御木本真珠店を京橋区銀座四丁目に移転。
1907年(明治40年) 市川源次郎専属下請工場を買収し、京橋区築地に御木本金細工工場を開設。
1908年(明治41年) 御木本金細工工場を東京市麹町区内幸町に移転。
1913年(大正2年) ロンドン支店を開設。大阪府大阪市東区淡路町に大阪支店を開設。
1916年(大正5年) 中国視察にでかけ、上海支店を開設。
1919年(大正8年) 東京市芝区三田豊岡町に貴金属第二工場を開設。
1921年(大正10年) 本店横に御木本装身具店を開設。
1923年(大正12年) 貴金属工場を統合して真珠店工場とする。
1927年(昭和2年) ニューヨーク支店を開設。
1928年(昭和3年) パリ支店を開設。
1929年(昭和4年) ボンベイ支店を開設。
1931年(昭和6年) ロサンゼルス支店を開設。大阪支店を閉鎖し、兵庫県神戸市神戸区仲町に神戸支店を開設。
1933年(昭和8年) シカゴ支店を開設。
1937年(昭和12年) ロサンゼルス支店を閉鎖し、サンフランシスコ支店を開設。
1942年(昭和17年) 内幸町工場を東京市目黒区上目黒に移転。
特許取得
1896年(明治29年)、特許第2670号真珠素質被着法の特許権を取得した。半円真珠の特許といわれているものである。

「真珠と甚だしく等差のない物質、例えば貝殻、硝子、陶磁器または下等の真珠を球形の小粒と成したるものを核となし、これを球のまま、または一部切り落としを設けてその転動することを防ぐようにし食塩にて振揺するか又は濃厚な食塩水に浸したあと、生活せる貝の外套膜に接して挿入し、この核に真珠質を被着せしめ真珠を形成せしむるにあり」(特許第2670号 明治29年1月27日 明治27年11月出願)

この特許取得によって真珠事業の独占が可能となり、御木本は他の事業を整理し、真珠事業に専念することとなった。この後、これにならって真珠養殖を行う者が現れ、幸吉は北村幸一郎他2名を特許侵害で訴えたが大審院で無罪判決が下った。裁判の過程でこの特許の大部分は幸吉が出願した以前から公刊物により周知の事実であったとされた。この無罪判決によって、御木本幸吉の独占の時代が終わり、真珠養殖が大きく広まったとされる。紛争は続いたが特許の存続期間が終了して問題はなくなった。

1916年(大正5年)、特許第3002号真珠素質被着法の特許権を取得。

「本発明は適宜の核を貝の真珠素質分泌細胞組織の皮膜に被包し之を生活せる真珠貝の外套膜の表皮を剖き其部分に密接して圧着し適当時間之を放置したる後海中に放養するときは植皮的に付着発育せしめて容易に真珠袋を形成せしめ核を排出することなく完全なる球形真珠を作り得るにあり。(下略)」(特許第3002号 大正5年9月11日、大正5年5月3日出願)

なお真円真珠についての特許は幸吉の次女の婿である西川藤吉が出願し、相続人である西川真吉が取得したものがある。また桑原乙吉の発明が御木本幸吉名義で出願登録されたものも多い。

御木本幸吉が取得した主要な特許をたどると、

半円真珠から真円真珠に到る特許
特に半円真珠に関わる加工上の特許(容飾真珠)
アコヤ貝養殖方法に関する特許(養殖籠・海底いけ籠)
1924年(大正13年)、母貝が子貝を生み育てる為の《仔蟲(しちゅう)被着器》の特許(この発明によって、アコヤ貝の全滅を救う当初の目的が達成されるようになった)
がある。

人々の協力
1896年(明治29年)4月の妻・うめの死は痛手であったが、天性の社交性と熱意により多数の人々が幸吉を応援している。養殖に関して一目置いていたのは、7歳年下の小川小太郎(1865年 - 1889年)であった。小川は早くから真珠の養殖に関心を持ち実験もしていたが、24歳で没した。

志摩国答志郡の郡長であった河原田俊蔵は勧業に熱心だった事から勧業郡長とあだなされ、柳に紹介状を書いてくれた。

四日市の万古焼商人だった親友の川村又助はアコヤ貝の中に入れる核の製造に関し協力を惜しまなかった。藤田四郎(1861年 - 1934年)は同郷で藩校・尚志館の句讀師(漢学者)龍蔵の四男、東京帝大卒、農商務省特許局長で(のち事務次官、日本火災社長、台湾製糖社長)、宮内省御用達となる際の保証人になった。

他にも愛知県出身の農商務省局長・織田一(1865年 - 1914年)、埼玉県深谷出身の財界の重鎮・渋沢栄一は幸吉の渡米にあたって発明王・エジソンらに紹介状を書いた。エジソンとの会見では、真珠養殖を驚嘆すべき発明と讃えられたことに対し幸吉はエジソンを巨星に例え、自分は数ある発明家の星の一つに過ぎないと返答したと伝えられている[2]。土佐出身の森村市左衛門は1875年(明治8年)に森村組を創設して日米貿易協会長、日本銀行監事などを務め、当時対米貿易の第一人者といわれていた。その組織を通じて輸出市場の調査や販売の拠点作りに協力した人など多くが助力した。

貴族院多額納税者議員
1924年(大正13年)三重県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月13日に就任し[3]、公正会に所属して1925年(大正14年)9月28日まで1期在任した[1]。

量産体制
1918年(大正7年)、様々な技術的実証の実験の中から良質な真珠が大量に得られるようになった。翌年にはロンドンの宝石市場にも供給できるようになったが、1921年(大正10年)、ヨーロッパの宝石商が天然真珠と見分けのつかない養殖真珠をニセモノ、つまり詐欺であると断定した騒ぎから訴訟に発展した。御木本側ではイギリスではオックスフォード大学のリスター・ジェームソン、フランスではボルドー大学のH・L・ブータンなどの権威者を証人として正論を述べる等して対抗。イギリスの宝石商は訴訟を取り下げたが、フランスは粘り強く拒否を続けた。1924年(大正13年)5月24日、パリで起こした真珠裁判にて天然と養殖には全く違いが無かったという判決を受け全面勝訴した。1927年(昭和2年)、フランスの裁判所から天然と変わらぬものとの鑑定結果の通知を受け、ようやく世界に認められる宝石となった。

1926年には、1万2760個の養殖真珠であしらった五重塔を米国独立150周年記念万国博覧会に出品した。一方で、1932年には日本産の粗悪真珠36貫を兵庫県神戸市で燃やして見せ、ミキモト真珠の品質を世界へアピールした[4]。

生産地も次第に英虞湾を中心とする志摩地方だけでなく、全国的に広げていった。

戦時中は政府に養殖を禁じられた[5]。
>
商品已結標,無法發問。
質問一覧
原始賣家所有回覆 (質問合計:件)
賣家回覆後,原始頁面中才會顯示詢問的問題
商品金額 日圓
日本消費稅(10%) 日圓 日本購買商品和服務時需支付10%的消費稅。這是日本政府對商品和服務徵收的稅款。商品價格可能已包含消費稅,或會另外加收,請在下單時留意價格說明。 請注意,日本消費稅是日本國內對商品和服務的銷售稅,會在日本境內計算並收取。
預估日本當地運費 日圓 日本當地運費參考
預估商品重量 KG
國際貨運方式 Funbid空運費用
注意事項
  • 以實際重量跟體積重量作比較, 以較大者為計費重量
  • 體積重量(KG) = 長度(L) (cm) X 闊度(W) (cm) X 高度(H) (cm) / 6000
  • 常見體積重商品:傢俬、釣竿、車材…
  • 集運2件商品或以上會收取「集運處理費用
雖然代標、代購服務很便利,但海外購物存在一定的風險。為降低風險,請詳閱以下資訊。

1. 國際運送

  空運:抵港通知超過七天以上未確認商品狀況,會產生客訴案件,將無法與賣家反映。

2. 香港本地運送

如貨件自提服務運送過程中導致外包裝破損並令貨品損壞或遺失貨物,該運單最高理賠金額為運費3倍或申報之貨物價格(以價低者為準)。

如標準快遞或即日快遞運送過程中導致外包裝破損並令貨品損壞或遺失貨物,該運單最高理賠金額為HK$780 或申報之貨物價格(以價低者為準)。

如因下列事件引致運送過程中導致貨品毀損、延遲,Jumppoint 皆不負任何責任︰
i. 包裝不穩固或未作加強而引致有破裂、毀損;
ii. 貨品性質為易燃、爆炸、發霉、腐壞、變色等;
iii. 易碎物品沒有標貼上「易碎標籤」;
iv. 無法預知或不可抗力因素,如交通事故、惡劣天氣情況等引起之阻礙或延遲;
v. 收件人聯絡電話不正確或無效等等。

會員收到並檢驗貨件後,若有任何疑問,請於收件後48小時內聯絡速遞公司客服人員,交由速遞公司判斷處理,Funbid 也會盡力提供相關資料協助會員處理。

3. 收到商品後

請盡快確認並檢查商品,商品規格、數量、配件 及 商品敘述是否符合。

假設不幸遇到問題,可參考下列範例教學如何反映相關商品問題:
一、商品缺少提供資訊範例
二、商品不符提供資訊範例
三、商品破損提供資訊範例

注意事項: 1. 若因賣家不願寄送海外,或賣家不清楚商品會被寄送至海外,而需要退換貨所產生的國際運費,需由會員自行承擔。可參閲郵局 EMS 易網遞 (e-Express) 費用查詢。若是酒類 或 影響飛安商品,則無法使用郵局寄送,僅能使用 DHL 寄送回日本。
2. 商品客訴處理期間, 請保留完整商品外包裝 (包含托運單資訊),並禁止自行維修或改變原始狀況,若有異動則會造成案件無法處理。

4. 檢查商品後

收到並檢驗商品後,若有任何疑問,建議於2小時内向 Funbid 反映。以下為提醒事項:

一、請勿將收到的商品拆封、使用 及 自行送修,且務必保留原始外包裝,利於後續處理相關事宜,避免商品更動過導致賣家不願處理。

二、可致電客服,客服會留言給您,並且請您提供以下資訊:
「您好, 商品ID:__________________ 問題,會先幫您建立客訴案件,但需要請您提供商品問題2-3張清晰的照片,含商品問題照片、商品包裝照片、出貨明細字條 及 外箱照片供我們補充資料,傳送至service@funbid.com.hk 服務信箱,並告知我們您想要的處理方式 (若未提供,會造成無法處理後續事宜),完成寄信後於客服留言訊息中告知,我們會盡快幫您與賣家確認,待處理人員處理後,若有相關疑問會再與您聯繫,感謝您的協助。 謝謝。」

請提供:
1. 「商品編號」
2. 「納品書」照片 (如有)
3. 外箱照片 (含內、外包裝)
4. 商品照片 (由於我們不是專業賣該商品,請於圖片外附上相關說明,以利我們與賣家確認)

注意事項:
1. 圖片背景切勿出現中文字樣及中文商品。
2. 請保留完整商品外包裝 (包含托運單資訊),並禁止自行維修或改變原始狀況,若有異動則會造成案件無法處理。
3. 相關資訊請您於48小時內提供,避免錯過反映的黃金時間,造成無法處理狀況。
4. 由於99%的日本賣家不願意 及 不清楚商品會被寄送至海外,若賣家願意處理問題,商品必需寄送回日本,因而產生的國際運費必需由會員自行承擔。Funbid 會透過 郵局 EMS 國際快捷 將商品寄送回日本。
5. 由於商品購自海外,當商品發生問題,需約一至二週完成相關處理程序。 提醒您,您可以至郵局的 EMS 方式查詢約略的費用。

5. 常見問題

一、真假貨問題:若古董、名牌類商品收到後發現為膺品,需要舉證正規品 (正品) 與仿冒品的差異清晰照片。若無法提供相關證明,可以協助尋找第三方公正機關進行 精品鑑定服務
二、鐵壺漏水:古董類鐵瓶漏水,需要拍攝清楚漏水的地方,並提供照片。
三、運送損壞:若商品是於國際運送 (到自取點)時造成損壞,需要提供包裹的外箱 及 清晰的商品外箱損壞照片。

※ 註:提供給賣家的照片,請勿有中文相關資訊。
您可能也會喜歡
    同賣家商品
    Excite翻譯
    加入追蹤清單與備註
    商品名稱 : 【ミキモト真珠・イヤリング】SILVER刻印◆シルバー純銀製SV925昭和レトロオールドMIKIMOTO高級ブランドパール百貨店アクセサリー
    備註 :
    加入我的最愛關鍵字
    關鍵字
    類別 耳環
    備註
    客服時間:星期一至五 10:00-22:00   星期六至日13:00-22:00
    客服專線: Whatsapp 線上客服
    客服郵箱:service@funbid.com.hk
    關注我們: Facebook Facebook Instagram Instagram