注意事項
含有刀身(不管長短、包含斷刀),槍等皆無法協助進口,無購買許可證明無法購買。
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刃長69.0㎝反り2.0㎝
元幅3.3㎝ 元重0.8㎝
先幅2.22㎝ 先重0.54㎝
鎬造り、鎬やや高め、先反り強くつき、鋒大きく延びる豪壮且つ美しい姿。
上方直刃調小乱れ、下方湾れ調互の目乱れで匂い口締まり足入る。
地肌総体に肌立つ。状態健全。
古研身、うぶ茎無銘
特別貴重刀剣認定書は付いていたそうですが現在紛失している為倉敷美術館に鑑定お願いした所、
寒山鞘書通りの村正では無いものの、村正一派である(伊勢千子派)で鑑定書を頂きました。
寒山鞘書白鞘入り。ハバキ銀着一重。
ガタつき、緩み無し。
村正は室町時代末期、所謂戦国時代の伊勢国桑名の刀工で世に言う“妖刀村正”で名高い。
その由来は、家康の祖父松平清康と父広忠は村正の刀で暗殺され、長男の信康は切腹させられる際に村正の刀で介錯され、
家康自身も村正の槍で負傷したという処から徳川家にとっては、不吉な刀として忌み嫌われたと伝えられている。
その為、家康に配慮した武将たちは挙って村正の銘を削って無銘にしたり改竄して一見村正とは分かりにくくしたという。
一説には村正帯刀禁止令がだされたとも言われている。それ程に手放したくはないという村正の実用刀としての
評価が高かった事が偲ばれる。
当時の不遇に見舞われながらも初代村正以降も何代もその名脈は千子派として細々と受け継がれ明治にまで及んだとされ、
徳川幕府打倒の縁起担ぎに倒幕の志士たちにも大人気であったという。
本刀は鋒が大きく延びて先反りも強くついた大変姿の良いもので茎も生ぶのまま残っている。
刃文は刃文表裏揃う、上方と下方の刃文の調子異なる、互の目を湾れで繋ぐなど村正の特徴を顕著に示した
典型的なものと鑑せられ、書籍で調べた所、大鋒の刀も三代、四代の村正として掲載されている物があり、
鑑定書の内容と一致している(画像参照)
無銘とはいえこれ程の物は昨今中々出回るものではない逸品といえる一刀である。 >