『日本暴力団 組長』(1969年)は、深作欣二監督(1930-2003)と製作会社の東映、その両者にとって画期的な作品である。本作は、深作が1年間の他社移籍(松竹での『黒蜥蜴』『恐喝こそわが人生』『黒薔薇の館』、および東映製作ながら海外プロデューサー主導の英語作品『ガンマー第3号 宇宙大作戦』の計4本)を経て、古巣に復帰した記念すべき第一作となった。
また、本作は深作にとって初の「現代劇ヤクザ映画」でもあった。それまでの東映は、明治・大正を舞台に、着流し姿の極道が「義理と人情」の板挟みになる「任侠映画」を専門としていた。しかし、『日本暴力団 組長』は、後に深作の金字塔となる『仁義なき戦い』シリーズ(1973-74年)へと続く「実録映画」への転換点の始まりを告げる作品となった。本作には任侠映画と実録映画、両方の要素が含まれており、その新旧の差異を見出すことこそが本作の醍醐味の一つである。
本作は、1946年に田岡一雄が三代目組長を襲名した当時のわずか33名から、1965年には傘下400団体、1万人規模へと急成長を遂げた山口組の台頭を緩やかにモデルにしている。その複雑なストーリーは「代理戦争」に根ざしている。
1996年のインタビューで、深作は『ガンマー第3号』について意外なことを語っていた。「当時はベトナム戦争の真っ只中だった。日本はアメリカの基地だった。私がやりたかったのは、アメリカ人が抱く共産主義へのステレオタイプな概念を逆手に取ることだった。アメリカが理解も制御もできない『何か』に翻弄される姿を描きたかった。それは後に『ディア・ハンター』や『フルメタル・ジャケット』のような映画で反映されることになるが、私はそれを宇宙ステーションを襲う細菌として描きたかったのだ」。結局、製作者側がより保守的な娯楽作を求めたためその意図は阻まれたが、怪獣映画に対してこれほど野心的なアプローチを試みていた事実は驚くべきことだ。
同様の視点は『日本暴力団 組長』にも読み取れる。東西のヤクザの抗争を、アメリカとソ連によるベトナムの代理戦争になぞらえているのだ。指導者たちは武家屋敷のような豪華な自宅で安全に守られ、下層のヤクザたちが実際の殺戮(さつりく)を担わされるという構図がそこにはある。
任侠映画時代の最大の遺産は、主演の鶴田浩二である。彼の存在は、本作において「バトンの受け渡し」のような役割を果たしている。
鶴田(1924-87)の生い立ちは壮絶だった。極貧の中に生まれ、盲目の祖母に育てられ、両親には捨てられた。14歳で家を飛び出し、高田浩吉の劇団に入る。戦争では海軍予備士官として、特攻隊員を送り出す整備任務という過酷な経験を味わった。
戦後、1948年に松竹でデビューすると、その甘く端正な顔立ちでトップスターに登り詰める。1952年には歌手としても成功し、日本初のスターによる独立プロダクション「新生プロ」を設立。初の海外ロケ作品『ハワイの夜』を製作するが、松竹との配給トラブルや、共演者・岸惠子との恋愛を幹部に引き裂かれたことなどが重なり、自殺未遂騒動を起こした。
さらに事件は続く。美空ひばりの興行を巡るトラブルから、山口組系の暴漢に襲撃されたのだ(鶴田浩二襲撃事件)。しかし、その後の田岡一雄組長との面会で、鶴田が脅しに屈しない毅然とした態度を見せたことで、逆に田岡は彼を気に入り、「組長と対等に渡り合える唯一の映画スターだ」と配下たちに言わしめた。皮肉にもこの事件が、芸能界と裏社会の密接な関係を世に知らしめることになった。
東映への移籍と復活
その後、鶴田はフリーを経て東映へ移籍する。東映の東京撮影所の救世主として迎えられた彼は、1963年の『人生劇場 飛車角』の成功により、任侠映画の象徴としての地位を確立した。しかし、1960年代後半になると、彼の「ストイックで厭世的(えんせいてき)」な演技スタイルは古臭いと批判されるようになり、高倉健の台頭もあって、彼のスター性は陰りを見せ始めていた。
1969年に観客が目にした『日本暴力団 組長』での鶴田の姿――着物を脱ぎ捨て、スーツに身を包んだ姿――は、当時の人々にとって衝撃的だったはずだ。本作には実録路線の萌芽が見られるものの、まだ後の『仁義なき戦い』のような激しい手持ちカメラや細切れの編集は導入されていない。深作とカメラマンの中沢半次郎は、まだ腰を据えた丁寧なカット割りで俳優の芝居をじっくりと捉えている。
2. 俳優たちの群像(13〜15ページ)
本作には後の「実録路線」を支えるスターたちが顔を揃えている。
菅原文太: 映画の冒頭こそ目立つが、中盤には退場してしまう。本作における女性の扱いはまだ軽く、菅原の妹役(一色美奈)などは名前すら与えられていない。
内田良平(1924-84): 悪役として知られたが、私生活では詩人や作詞家という一面も持っていた。愛人に刺されるなどのスキャンダルも絶えない、無頼な人物だった。
安藤昇(1926-2015): 本物のヤクザ(安藤組組長)から俳優に転身した異色のスター。彼の率いた安藤組は、大学生を団員に入れ、スーツを着こなし、刺青を禁止するという、当時のヤクザとしては極めて異質な「スタイリッシュな集団」だった。彼自身、顔に大きな傷を持ち、本物の凄みがあったが、東映では鶴田や高倉、若山らの牙城を崩すまでには至らなかった。
これは「一種の」ヤクザ映画である。 「任侠の精神とは、日本人が古来から魂の奥底で培ってきた忠義や孝行という美しい道徳に根ざしている……」。これは劇中の政治黒幕がヤクザの縁組式で語る言葉だ。本作はこの言葉の、そして「任侠」という概念そのものの醜さと空虚さを暴き出している。
物語は、1970年の安保条約改定を控え、政治の黒幕が東西の両組織を統合し、国家のためにその暴力装置を利用しようとする姿を描く。「愛国同志会」の結成式では君が代が歌われ、「反共」が掲げられる。ここにあるのは、従来のヤクザ映画が描いてきた「友情」や「義理人情の美化」ではない。本作はそのステレオタイプを根底から覆している。
主人公・塚本(鶴田浩二)は、組織の安全のために中立を貫こうとするが、結局は暴力の渦に巻き込まれていく。物語の最後、塚本はドス一本で黒幕たちを仕留めに行く。しかし、彼が命を懸けて数人を殺害したところで、政治黒幕の本質(北極道)は生き残り、ヤクザという組織構造も何ら変わることはない。
映画のラスト、逮捕された塚本は、生き残った端役のヤクザの凶弾に倒れる。彼の死は残酷で、無意味で、虚しい。この結末は、暴力で解決しようとする「ヤクザの論理」そのものの否定である。深作欣二はこの映画を通じて問いかけている。「では、どうすればいいのか?」と。
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