南米アルゼンチンはブエノスアイレス拠点で1974年頃の結成として知られる純正プログレッシブロックバンド、アラスの83年発となる2作目。オリジナルLP盤のリリースはアルゼンチンEMIから。で、こちらの再発CD盤はProgressive World Wideからの96年版となり、本作の再発CDとしては最も初期のヴァージョン。注目はオリジナルLP盤には未収録の音源2トラックをボーナス収録し、こちらはこの当時77年頃のライブ音源と思われるもので、スタジオ盤以上に荒々しいいヘヴィネス溢れるアンサンブルを聴く事が出来る貴重音源。編成は前作でエレクトリックベースを担当していたアレックス・ズーカーが脱退し、代わりにこの当時若干18歳だったというベース以外にもプロレベルで何でも演奏できるマルチミュージシャンとしても知られる、ペドロ・アズナールが参加。因みにこの人の経歴としてはアラス解散後、アルゼンチンのプログレ系としてはオーヴァーグラウンドでも成功を収めたSeru Giranに参加し、その後は何とパットメセニーグループに83年から85年と、89年と92年の両期間在籍した著名プレイヤー。時系列でいうとこの新ラインナップのアラスの2作目の録音はセールス的にも好調だった1作目の録音後、翌年の77年にはスタジオ録音が完了していたものの直ぐのリリースは見送られ、83年になってようやくリリースされるという経緯だったようで、これには諸説あって、76年のアルゼンチンに於ける軍事クーデターから文化部門に検閲が及んできたので、音楽活動に経済的な困難が直面し、バンドメンバーは国外に活動の場を移していったためとかって事が有力なようで、実際にリーダーのグスタヴォ・モレットはこの時期にアメリカへ渡ってそのまんま移住し、数々の音楽大学で博士号を取得して現在では教授職に就任。ドラムスのカルロス・リガンティはアラスへの参加以前はアルゼンチンのサイケプログレ系の最初期のグループの一つとして知られ、72年にアルバムも残しているマテリアグリスのメンバーだった人で、この後アラスへ合流。アラス解散後は70年代のアルゼンチンでは最も売れっ子のセッションミュージシャンとして活躍し、上記の経緯からその後はスペインへ渡っての活動へ。本作の内容としては基本的には1作目と同様、難儀な拍節感を伴うキメフレーズがビッシリと敷きつめられながら炸裂し、トップギアスピードとスローダウンによる切り返しを伴う迷宮型シンフォニックキーボードプログレ志向で端的にってキースエマーソンのELPとチックコリアのリターントォフォーエヴァーが最良のエッセンスだけで精製されたような音楽性。さらにアラス結成当初からの音楽コンセプトでもあったアストールピアソラが開拓したアルゼンチンタンゴの拡張性を起点にフォルクローレとジャズの融合を試みるという成し得たものの居ない試みが本作に於いて遂に具現化し、表面上ではプログレッシブロック枠の中でよりジャズロック志向が強まっている印象が強いけれども音楽パーツの組み合わせによるヴァリエーションは異常に複雑化していて、どう展開してどう決着を着けるのか?っていうスリリングな場面が綱渡りのように連続する凄まじさ。ALAS-same(progressive rock world wide)
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